まえがき
第1章 事のはじまり
第2章 腑に落とす
第3章 宇宙人ているの?
第4章 科学のボーダーライン
第5章 宇宙人がいたらどうなる?
第6章 宇宙スゲェ
第7章 もっと深いところ
第8章 愛と執着心
第9章 仮想現実
第⑩章 時間って何?
第⑪章 私の中のこの世界
まえがき
初めに言っておきます。
私は無宗教論者で、科学者でも哲学者でもありません。
正しいことなんか何一つ無いかもしれません。だからフーンという気持ちで話3割くらいで読んでもらえればいいんじゃないかなと思ってます。
まだまだ稚拙で幼稚な思考を持つ自分ですが、自分が納得する形で、この世界のすべてを説明できないかと試行錯誤した結果、腑に落ちた、というか、ある段階での結論に達し、これまであった世界で起きる様々な事象に説明がつきそうだと、一安心できたその理由を、自分でもちゃんと整理したく思い、書くことにしました。
生きるとはどういうことなのか、この世界はどういう仕組なのか、死後の世界はあるのか、正しいことは何なのか、愛とはなにか、光やエネルギー、物理や時間、この3次元物理世界でおきる現象や、まだ知り得ない別の次元などを、自分が納得する形で考えることは出来ないだろうか。
そういう思いに苛まれ、あらゆる事に囚われた日々を送っていたのですが、あまりにも色々なものが複雑に絡み合っているので、どこから手を付けたらいいのかすらわかりませんが、とりあえず、わかりやすいところから説明したいと思います。
第1章 事のはじまり
子供の頃から不思議なことが好きでした。
好奇心旺盛で生意気、頭でっかちで自分勝手、さらに落ち着きがなくどこか普通の人と違う自分が正直嫌いでした。
幼いころの関心は、もっぱら磁石
お道具箱に入っていた花型でプラスチックで出来たボタンみたいな物。
真ん中にフェライト磁石が入っていたのですが、おはじきでもなく、ペーパークリップにしては磁力が足りない。
黒板やホワイトボードにくっつき、数を数えるお勉強をするための道具ではあるものの、当時はそれがどういうものだったのか理解していませんでした。
初めてそれに関心を持ち、なぜこれは反発するんだろう、なぜこれは引き合うのだろう、間に紙を挟んでも、何も見えないのに互いに影響しあっている。
どうしてこんなことが起きるんだろう、と深く疑問に思ったのは小学校1年生の終わり頃でした。
「そういう物なのだ」と認める前に「なぜそうなるのだろう」と疑問にとらわれ、勉強どころではなくなったものです。
近所の町工場を覗くと大型プレス機の壁面に張り付いていた強力な磁石。
指を挟めば低学年の細い指など骨折するほど強い磁力をもったそれをもらってきたり、学校の黒板にプリントを貼り付けるための弱い磁石を勝手に持ち帰ってきたり、砂場で遊んで、もう砂鉄だらけでどうしようもなくなった磁石だったり、ゴミ捨て場にあるスピーカーを分解して取り出した大型の磁石だったり。
当時はネオジム磁石がまだ流通しておらず、磁石といえばもっぱらフェライト磁石です。
学校で買わされた道具箱に入っているU字磁石は、鉄が磁化されただけなので磁力が弱くてつまらない。
もっと強い磁石がほしい。
その好奇心という思いを、好奇心という言葉を知らないことで本能の様に感じ、なぜ強い磁石がほしいと思うのか理解しないまま、より強い磁石に心を惹かれました。
そのせいで、スピーカーを拾ってきてはマイナスドライバーでこじ開け、指を挟んで血豆を作ったりしながらコツコツと集めて、気がつけば何十個もありました。
そんな子供時代は、家に様々な磁石があり、それらは私の宝物でした。
磁気テープに近づけてしまい、音質や画質が極端に落ち、原因が磁石だとわかった時は嬉しいやら悲しいやら。
いじめられていた私は学校に行かず、両親が働いている日中、部屋に閉じこもり、父の持つ道具や、身の回りのもので磁石にくっつくものを探したり、磁石を使いレゴブロックみたいな感覚で何かオブジェ的なものを作ったりしていました。
良くくっつく重い金属を探しては収集し、周りを金属で囲うと磁力が強くなる性質を見つけたり、色々な発見をしながら遊んでいました。
中でもパチンコ球は良くくっついて数珠状に繋がるのでお気に入りでした。
小学生の頃からパチンコ屋の前をうろつき、落ちてる玉を探しに行ったものです。
最近は強力なネオジム磁石の玩具が多くなりNeoCubeが欲しくてなりません。
NeoCube
ただの小さな球状の磁石、を沢山セットで販売した玩具。非常に強い磁力を持つため、様々な形でくっつくので色々な幾何学的な立体形状を作ることが出来る。ただし磁力の特性にそった形状に限られるためパズル的な要素も生まれる。近年発売された大ヒット玩具。
学校に行かない午前中、ほとんど毎日NHKの教育番組を見ながら磁石で遊んでました。
閉めきったカーテンの中で一人、日々磁石をいじりながら一人遊びをしていたそんなある日、父の仕事で使う金属のボルトを見つけ、手に取りました。
あの冷たさと重さと金属感はなんとも良いものです。
重い金属はなぜか強くくっつくものが多い。
逆にすごい重いのに磁石は見向きもしない物もありました。
不思議に思いながら色々なものをくっつけたり離したりしながら遊んでいたのですが、たまたま、そばに小学校で使う道具箱がありました。
その中には色々なお道具が入っています。
初めて触った磁石もここに入っていたのですが、学校の授業で使うであろう様々な道具の中に麦球(豆電球の小さな奴)が入っていました。
今ならLEDなのかな。
乾電池の両端に繋ぐため、ケーブルは長いままです。
金属ボルトには溝が掘ってあります。
子供なら何の気なしに巻きます。
金属棒にぐるぐると巻きつけ、磁石とともに意味不明のオブジェを作っていました。金属のボルトにぐるぐる巻きにされた麦球のケーブルと、ボルトに強力に張り付く磁石。
それを近づけたり離したりしていると、なんと偶然にも麦球が一瞬光りました 。
多分とても弱い光でしたが、光ったように感じたのです。
日中、学校に行かない後ろめたさから部屋のカーテンは閉めっぱなしで暗かったせいか、もしかしたら光ってなかったのかもしれませんが、なぜか光ったと感じて、とても不思議に思った記憶は今も鮮明に残っています。
今ならわかります、ボルトに数十回巻いたくらいで磁石を近づけても麦球は光りません、厳密にいうと麦球はフィラメントが熱せられて光る熱発光ですから一瞬の電流では光らないはず。
しかし「不思議に思った」という記憶は今もたしかにあるのです。光らないとすれば「なぜ不思議に思った記憶が残っているか」は今となっては分かりません。後からの記憶が混じっているのかすら曖昧ではありますが、幼心に不思議な現象を目にしたという感覚だけは間違いありません。
当然、理屈も仕組みも知らないまま、電池につながってない麦球が光ったように感じたのです。小学校低学年の私が驚かない訳がありません。
そのため、私は麦球は金属に巻いて磁石を動かすと光る、という事実を幼少期から知っていました。その時は光らなかったものだとしても、知識が無い私は光るものだと勘違いしていました。
しかし年を取り知識を得ると、それは規模や方法は違えど光って当然の行為であり、科学では磁気誘導という呼び方をされていると後になって知りました。
なぜ、世界はこうなのだろう・・・・
小さな子供が偶然に、科学でいう磁気誘導を発見できたわけです。
これはいわゆる発電の基礎です。
仕組みはわからずとも、いとも簡単に電気が起こせる自然界の仕組みが、この歳になっても不思議でなりません。
電動工具は何故かロマンを感じます。
DIYのショッピングセンターに行くと電動ドライバーを触らずには居られないのは私だけではないはず。
電力は運動や光、熱といった形に変換され世の中で様々に活用されており、そこには一定の不思議な関連性が有り、科学の世界では法則や方程式として解決されています。
マイケル・ファラデーやジェームズ・クラーク・マクスウェルの様に、自然界の法則を見つけ、それを数式化し理解して、証明し世界の役に立てる。
そんな科学の一端を担えれば良かったのですが、私のような高卒凡人の脳では、その証明や論文の理解すら出来ません。
だから自分なりにこの不思議な世界を、納得の行く形のイメージを、作れないかと思っていました。
この文章でいう「世界」とは全ての領域を含みます、もし神々の住む場所があればそこも含み、異次元や亜空間、2次元や4次元、想像された空間をも含むすべての領域の事です。限定された何処かの空間の場合○○の世界、という言い方をしています。
物理的な事象や法則を従うこの3次元の世界や、量子力学やひも理論といったミクロの世界から、宇宙やその外側であろうマクロな世界、重力や量子の不可解な運動。また、同時並行的に存在しているかもしれない余剰次元や、近年あるとささやかれているパラレルワールド。いわゆる並行宇宙説なんかです。
そもそも何なのかすら理解に苦しむ時間という概念や、それ以上で理解が難しい想像領域の上の世界。果ては意識や自我、思考や愛、倫理や哲学、神や霊、宇宙人にUMA、魂や宗教感といった、まだ良くわかっていないものまで含めて、この世界とはなんて複雑で、それでいて美しく絡み合ってるようにみえるのだろうか、とつくづく思うのです。
この世界とはどういうところなんだろう。
そんな思いに今でも囚われています。
幼い自分が見つけた電気と磁石の関係のように、まだ良くわかってない事、不思議な現象や想像の世界、そこに何らかの法則や一貫した事実は無いのだろうか。と悩み始めたのは20代前半になってからです
そもそも、ここでいう一貫した事実とは何か
コインの表の反対側が、裏であることは当たり前で疑う余地が有りません。光りを遮られた場所は影と言い、川は山から海へ流れ、昼と夜は交互にやってきて、太陽は今も光っている、といった世界における事象で、みんなが当たり前だと納得できる事を指します、それはあなたも納得している事です。
いくら神はいないと思う人が居ても、いる人にとっては納得できている事で、逆に居ないという事に納得していればその人にとって神は居ないのです。自然界に確かに存在しているかどうかが確認できない事でも、当人が納得していればその人にとっては事実なのだと思います。
人にはそれぞれ「自分にとって、決着のついてない一貫した事実、以外の物」があります。例えば私にとっての、霊や神の存在です。無神論者ですし。
外国人に「私は無神論者です」というと極端に見下される傾向があります。多くの外国人にとって、存在の証明は重要ではなく、信じる事こそが真実になりうる、そういうことなのだと思うのです。
ただし、科学者は「わからないことは分からない」というべきです。なぜなら科学は神を信仰していません。我々人類が自然界の法則を理解できる形で解明するのが科学ですですから、証明できたことのみを「正しい」とするべきです
しかし、わからないことに「多分こうではないか」という仮説をたてることは間違いではありません。
仮説は証明されるまで仮説でしか有りませんが、現時点において証明する術が無い仮説にも価値はあると思います。それは、いつの日か未来に、その仮説が立証される可能性が無きにしもあらずだからです。
また、すでに別の場所で証明されたことを、本人が知らない場合を「無知」と言いますが、無知も悪いことでは無いと思います。
なぜなら知識は無条件に入ってくるものでは無く、人によって「まだ知らない」事があり、たとえ勉強してもその時点では理解できない事は沢山あるからです。小学生に微積分を理解しろと言っても無理なのと同じで、人にはそれぞれ理解できるタイミングが有ると思うのです。もちろん死ぬまで理解できないことも無数にありますから、無知は悪いことではないのです。
世の中のほとんどの事は知らなくて当然のことなのです。
地球の内部の正確な構造は誰にも分からないし、宇宙の果ても解らない。人間国宝の宮大工にも、F1のエンジンの構造は理解できなくて当然です。死に際まで勉強し続けた天才数学者でも知らないことはたくさんあるのです。
だから色々な人が協力しあって今日の文明を築き上げてきたのです。
時々、他人が自分より物事を知らないことを見下す人が居ます、ネット越しでは特に多い気がしますが、それはあまり賢いとは言えない気がします。
事実を知っている人にしてみれば、とんちんかんな意見や仮説でも、その人にとっては立派な仮説であり想像であり真実かもしれず、それは他人に揶揄されるものではないと思うのです。
だから私は自分の想像の世界を恥ずかしいと思わないよう心がけています。
例えばですが、居るかいないかわからない「神」の存在を、心の底から信じてる人を、私は恥ずかしい奴だと思いたく無いし、正直いうと神を信じていない私も恥ずかしいやつだと言われたくないのです。
そう思えるようになる前はひどいものでした。なぜ人は生まれてきたのか、そこに意味はあるのか、死んだらどうなる。なぜ殺したらいけないのか、といった、生きている故に起こる疑問や、何故磁石がくっつくのか、なぜ電気が起こるのか、なぜ光は、なぜ太陽は。という自然界に対する疑問など、解けるかどうかすらわからない疑問に苛まれていた日々で、それなりに勉強はしたものの、ほとんどは理解できないまま年を重ねてきてしまいました。
変わり者のせいか、理解力がないのか、頭がいいのか、バカなのかは分かりませんが、自分が納得できていない、まだわかっていない事実の外側の部分が多い私は、そういった謎に好奇心を駆り立てられてしょうがないのです。
鬱に陥っていた当時はそんな「証明のしようがない結論の出ない疑問」の無限ループにはまり抜け出せない生き地獄でした。何らかの謎に囚われて、先に進めなくなっている原因に、私自身が納得の行く形で、世界における当たり前の法則がないものか。四六時中そんなことを考えていました。
既にある「正しい知識」を求め、たとえそれを見つけたとしても、自分が理解できなければ、そんな生き地獄のような無限ループからは抜けだせません。だから、たとえ正しくないとしても自分が納得できる形で、世界の謎を想像してもいいじゃないか。そう思うようになりました。
そうしているうちにだんだんと「私の中のこの世界」が完成してきたわけです。
少し哲学的な話ぽくなってしまいましたが、でも、まぁ
なぜ生まれてきて、なぜ死んでいくのか
この世界はどういう仕組なのか、それが分かったところで
今日の晩飯は納豆ご飯なんですけどね。
第2章 腑に落とす
科学者ではないので「本当に正解かどうか」はわかりません
科学者ですら本当に正解かどうかなんて怪しいものは多いです
ですがコインのように、月の裏側は見なくても「裏側」であることに間違いはなく
疑問の余地はありません。
とある面の裏が、裏であることは自然界の法則や世界のルールに沿っていますが、それは腑に落ちている(理解し受け止めることができている)から疑問を抱かずに済むのです。
月は地球から見ると円形です。あまりに遠いので球形には見えません。そこで月にはコインのように裏側が有るという認識が生まれます。
この月のように正面から見てコイン状でも、近づいてみたら球形で、見えなかった裏側の部分を、はたして裏と呼んでいいものかどうか、と考えると正直悩みます。なぜならそれは主観の問題だからです。
地球から見た月の側面を見たとき、地球から見たちょうど側面の円周より先の、地球から見えない部分が裏という人は多いと思います。
しかし実際に側面に立った場合、まるで国境のように、ここから左が表で、ここから右が裏、と言われてもピンと来ないはずです。
つまり、月のウラとオモテは、地球にいる場合はある程度決まりますが、近づけば境界線は曖昧で、殆どの人はだいたいこの辺から裏で、それ以外の部分が表、という認識になると思うのです。
これは似たような話ですが、テーブルの上は平面で、完全な球体には平面がありません。平面と完全な球体の接地面は触れるのでしょうか?
そもそも厳密には全てが原子単位、ひいては中性子や陽子、果てはクオークやボゾンといった単位で見れば、この世界にはどこにも平面は存在しません。
つまり、接地面はどんなに細く尖らせても、物体と物体が面で接触することは有りえません。全ては強い力による反発なわけです。
この表と裏のという話は、そんなようなことと似ていると思います。
したがって、実際に表なのか裏なのか、ということよりも、表とは何なのか、裏とは何なのか、という認識に左右されます。
個人ごとの主観の問題とはそういうことです。
しかし、そうなってくると、表と裏の定義が大切になります。
もしかしたら月の裏側がむっちゃ繁栄していて大都市ができていて、月人が何億人も住んでいて、これってむしろ地球側が裏じゃね?という話です。
沢山の人の共通認識による定義の確定が行われているものであれば明確になりますが、私の抱えている疑問はその大半がわからないこと、もしくは私が知らないこと、つまり、共通認識されているはずの情報が、まだ私の知識の中に理解された状態で入っていないなのです
高度な知識や、新しすぎる、古すぎる情報は、まだ認知度が低かったり、理解しづらいせいで、一般に共通認識された定義が曖昧なものが多いのが事実です。
最先端科学のテクノロジーなんか殆どの人が知りませんし、知っても理解できません、なんかよくわからないけど、なんとなくそういうものらしいぞ。となります。
だから、仕組みを知らなくても蛇口をひねれば水が出ることや、アクセルを踏めば自動車が動くことに疑問をいだきません。それが腑に落ちているということです。
裏がどうなってるか知らない時点で表を見て、反対側を想像した時、その裏が裏であるということが、腑に落ちていれば幸せなのです。先に話したとおり、神が居るかどうかは問題ではなく居ると納得できていればいいはずなのです。
電気をつければ見やすくなるし、旨いものを食えば幸せ。そこに疑問は抱きません。私が囚われていた、解決することの出来ない疑問をそういう「腑に落ちる形」で納得出来ないものかと思いはじめ、この世界の構造をイメージするようになりました。ですが・・・
何の証明も出来ません
確かなことは「この世界をイメージすることで"私は"腑に落ちた」ということだけなので、私のイメージを誰かに押し付けるつもりはありません。
もし私が潤沢な資金を持つ科学者だったら研究して証明したいところです。研究したら全然間違っていたと気がつくと思うのですが、残念ながらイメージして納得してそこで終わりなのです。でも「正しくなくても」想像したおかげで世界を俯瞰から見下ろし、全体を捉えることが出来るようになり、わからないことに対する不安が無くなりました。未来は明るいです。というか、未来なんか無いんですけどね、あとで話します。そんなわけで・・・
今はそれなりに幸せです
もしあなたが今何か不安に思い、幸せになれていないのなら、そして答えが出せずに、もがいているなら、確証は持てませんが、ひょっとしたら、万が一にも、何かのヒントになるかもしれません。「ほぅこんな考えもあるのか」と一例を知るだけでもいいというのなら、この先もできれば、振り落とされれずについてきてください
此処から先はとにかく想像力が必要です。書いてある文章が「ダメだわからん」となったら頭のなかに描くよう心がけてください。たぶん眉間にシワがよりますが、何度か読めば想像できるようになると思います。ということで
初めは分かりやすい所から行きましょう
我々の住むこの3次元の物理法則で成り立つ世界、この世界は大半が見渡せるので、イメージするのは比較的簡単です。
地球だけではなく宇宙全体のことで、あなたが「居る」と自覚してる場所です。もしかして何万光年も離れた彼方には地球外知的生命体がいるかもしれません。かつては地球に恐竜が居て、その昔はビッグバンが起きて始まったとされるこの世界。
この世界(3次元物理世界)は見やすいですが、そのせいであらゆる物に疑問を抱きます。宇宙人はいるの?もその一つ。沢山の疑問や解決されていない問題が山積みでは有りますが、実は普遍的なことが多いです。
宇宙人が7万光年離れた惑星にいるとします。「もし」居るとしたらです。「居るわけがない」と思っていてもいいんですが、想像はできますよね? その想像上の宇宙人が居る世界においても、実は沢山の普遍的なことがあります。例えば
どんなに宇宙の果てでも「鉄は鉄、水は水」のはず
鉄は人類が「鉄」や「Iron」などと名づけたもので元素記号ではFeと呼ぶことにしています。この「鉄」と呼ばれる物質は、原子量が55.845g.mol-1で融点は摂氏2800度で、鉄の状態が2800度と呼ばれる状態になるくらい原子が振動すると液状になる物質で、それは環境が一定ならこの宇宙のどこにいても変わりません。
鉄自体は、純度が違ってたり、何かと結合して呼び方が変化していたり、例えば酸化鉄など形を変えていたとしても、宇宙には鉄自体がある程度大量に存在しますので、もし宇宙人がいて文明が発達していれば「鉄」を使って何かを作ってるかもしれません。これは宇宙人がいれば自然な流れだと思うのです
想像してください、数万光年彼方に居る宇宙人の腰には(腰があるかしらんけどw)ある程度精錬され、ある程度純度の高い、鉄という金属が身につけられ、護身用に使われたり道具として存在しているのです。
「もし」宇宙人がいればの話ですが、この鉄の様に、宇宙のどこにいても変わらないことは意外と多いはずです。地球や日本、自宅や会社の周りだけを見るのではなく、そんな宇宙の果てでも、きっと宇宙人は我々と同じような悩みを持って、生活しているのかもしれないと考えると、ロマンの有る話だと思います。
私の想像力で作った「私の中のこの世界」はここから始まります。
私が想像し、腑に落とすことが出来た宇宙の仕組みを、これから順を追ってお話していきます。納得行かないことでもできれば「想像力」を駆使してついてきて下さい。
ただし、どこまで行っても想像の世界ですから、何の証明もできません。しかし、普遍的なことから推測し、想像することで腑に落ちやすくなるはずです。
世界のどこでも普遍的なものは有る
ということが腑に落ちたところで、次の章では、その「もし」を解決しましょう
第3章 宇宙人ているの?
私は、いる、と思ってます。人によっては「居た」という人も居ます。近代では「居ない」という人のほうが少ないんじゃないでしょうか? なぜ「いる」と思えるようになったのか(腑に落ちているのか)ですが、近年科学の発達で昔は知り得なかった事実が少しずつ明らかになっています。
我々は孤独なのか
知的生命体なら抱く「疑問」の一つです。断定的に言っていますが、これは知的生命体には好奇心があるからです、なければ知的になれません。だから人類ですら宇宙を探索し、電波を受信し、望遠鏡を覗きます。
言ってしまえば宇宙人がいるかどうかなんか正直あんまりどうでもいいのです。問題は「孤独なのかどうか」が知りたいのです、その探査の結果、近年知り得た事実ですが、どうやら地球型惑星はいっぱいあるみたいです。
一昔前は地球型惑星なんか殆ど無い、と言われていました。
理由は夜空に見える星はほとんど全部、恒星(太陽)だからです。
地球や火星のような惑星は殆ど最近まで見えなかったので、探しようが有りませんでした、そのせいで「こんな地球のような星は宇宙の中でも稀だ」と思われていたのです。
地球型というのはおおまかに言うと「水が液体で存在していること」です。地球自体がそうですが、水が必要な理由はあとに書きます。
厳密に地球型惑星という場合、他にも様々な条件が必要です。地球の生命進化の場合、磁場がなければ遺伝子は宇宙放射線により破壊され進化できないとされていますし、比較的巨大な衛星、月の様な存在を持っているかどうかや、恒星から適度な距離に位置しているか、近傍天体に土星、木星のような重力の高い惑星が有るかどうか、他にも重力や大気組成など幾つか条件は有りますが、それらを踏まえても、地球に似た惑星は近年ちょくちょく見つかり始めています。
2005年にグリーゼ876dを発見し、2007年にはグリーゼ581c、2009年にはグリーゼ581eが見つかり、同じく2009年にはコロー7bという惑星が地球型ではないかという発見もありました。これらの惑星は、おそらく殆ど地球と変わらないような姿をした惑星です。
発見された地球型惑星のほとんどは、巨大な地上電波望遠鏡あるいは、ハッブル宇宙望遠鏡や、宇宙観測衛星により発見されていますが、技術は日々進化しています。衛星の打ち上げは莫大な大金と時間がかかるので、なかなか新しいものに変わりません。例えば、ハッブルの打ち上げは1990年ですから、開発期間を入れれば30年も前の旧式の望遠鏡になってしまっているのが実情です。30年前のコンピュータを思い出して下さい。日本ではPC9801が全盛期で処理速度は現在のコンピュータの1000分の1以下です。家庭用はファミコンかスーパーファミコン。当時何億円もしたスーパーコンピュータですら今のiphoneに及びません。そんな時代の旧式望遠鏡を使い、足りない面をここ数十年で進化した地上で使う分析用のコンピュータとソフトウェアでカバーしながらだましだまし使って宇宙を探索しています
そんな中2018年にはジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡というハッブルの後継機が打ち上げられる予定です。ジェイムズが上がれば今まで発見できたペースよりもはるかに早く、地球型惑星を発見できるようになると言われており、近年開発が進む量子コンピュータや、分散コンピューティング技術により、知り得た情報の解析もどんどん高速化していきます。
これからの数十年で、今まででは考えられなかった数の地球型惑星が見つかって行き、宇宙は地球みたいな星だらけ、ということが証明されていくはずです。楽しみです。
少し本題がずれましたが「宇宙人が居るかどうか」を話す際になぜ地球型惑星に拘るか、それも順を追って話します。
地球に生命がいるという事実を踏まえた上で考えて下さい
もし我々が
この宇宙で孤独の生命体なら、殆どの格率で
生命は地球で生まれたことになります。
その場合、逆に考えて、地球で生命が生まれうるなら
どこの地球型惑星でも生まれる可能性があると言えるはず
まとめると・・・。
地球生命が宇宙で孤独なら
生命は宇宙のどこにでも生まれる・・・?
これは、地球型惑星が地球しかなければ矛盾しませんが
地球型惑星が沢山あれば矛盾してしまいます。
となれば
宇宙には地球型惑星が事実いっぱいあるんだから、生命は地球で生まれたと考えるよりも、宇宙のどこかの地球ぽい惑星で生まれたか、どこででも簡単に生まれるかのどちらかです。
そこで考えるのは、生命はどこから来たのだろうかということです。生命誕生は地球発祥ではないのか?
イメージしやすくすると・・・。
事実地球に生命は居るのだから・・・
1.もし、地球型惑星が地球しかなければ生命は100%地球産です
2.もし、地球型惑星が1万個あれば生命が地球産の確率は1万分の1になります(生命が生まれない地球型惑星もあるでしょうから、実際は生命が地球産の格率はもっと下がるでしょう)
3.もし、地球型惑星以外でも生命が生まれうるなら宇宙は生命だらけでしょう。
上の3例に近年知り得た地球型惑星はいっぱいある事実を踏まえて考えます。
1は地球型惑星は沢山あるので間違っています。
3は現在の科学では今のところ地球外で生命を見たことがないという事実だけが残り現時点では信ぴょう性に掛けます。
となれば必然的に2になります。
事実、地球型惑星はいっぱいあるみたいですし、実際に地球に生命は居ます。てことは、宇宙のどこかの地球型惑星で生まれ、ここまで運ばれた。と考えるのが自然ではないでしょうか。地球産の確率は1万分の1なんだから。まぁ宇宙には生命が溢れているならやはり地球産の可能性も捨て切れませんが、他の地球型惑星の探査が進めばそれは近年明らかにされるでしょう。
では、もし宇宙の何処かの地球型惑星で生命が生まれたならなぜ地球に生命が居るんでしょう。
普通に考えれば「宇宙は生命で溢れている」か「何らかの方法で運ばれた」かのどちらかしか無いと思います。先に話したとおり少なくとも人類は地球以外で生命を見つけたことがないので、生命で溢れている、という結論には現時点ではやはり信ぴょう性が無いように感じます。
では、何らかの方法で運ばれたという結論の方はどうでしょう
実際に日々、星々は砕け散り、宇宙に拡散していますし、隕石は毎日地球に落ちています。宇宙は広大ですが、時間も膨大ですから、宇宙のどこかにある地球型惑星で生まれた生命の住む星が、何らかの原因で崩壊し、その生命が運ばれる可能性は十分にあります
増殖して爆発して拡散してを何度も繰り返し、末に我々の地球まで届いた。
こう考えるのが腑に落ちやすい論理的な結論になります
地球が生まれたのは45億年前で生命が生まれたのは40億年前と言われています、地球ができて5億年目に生命が地球上に生まれたなら、生命を運んだ隕石は5億年に1度しか地球に降ってこない可能性もあります
ですが最初の5億年なんて地球はドロドロの火の玉ですから、生命の隕石が落ちてきても増殖はしないでしょう。
ということは地球が冷えた頃、速攻で生命が誕生したということになりますから、生命の隕石は結構頻繁に降ってきているのかもしれません
近年、小惑星探査などが盛んに行われています。宇宙空間に漂う小惑星や隕石の中には、はるか遠くからやって来た物や、何十億年も彷徨い続け、宇宙創世記の状態を保つ物もあります。それらの中から運良く、生命の根本となる何らかのタンパク質やDNAの構造体となりうる物質が、近い未来に見つかるかもしれません。
まぁ現時点では、想像の領域ではありますが、事実に基づいた想像なので腑に落ちやすいのではないでしょうか。風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな論法では有りますが、ただ漠然と「生命は地球で生まれた」というよりは信ぴょう性がある気がするのです。
ただひとつ見落とした疑問があります。
なぜ地球型惑星なのか?なぜ地球生命を主観に置くのか?
1000Gの超重力環境下で進化していたり、6千度の恒星表面の生物だったり、水銀の海にメタンの雨で生活し、金属蒸気を呼吸し、純金を主食とし、核分裂で子孫を残し、硫酸の体液を持ち、体は光輝くような生命かもしれない。体重は数グラムでフワフワ浮かんでいたり、霧状の精神しかない生命体だったり、そんなのが居てもおかしくないじゃないか、という人も結構居ます。でもこれは、私にとって納得できる根拠が無く、腑に落ちないただの想像、で止まってしまうのです。
というのも、キーワードは水
水はとても特殊な物質です。
水はあらゆる物を溶かし、混ぜ、蒸散し、静電気を起こし、落雷などで高分子化し、地熱などで沸騰し、分解し、固体状態では外気を内包してしまう特性上、液体より体積が大きくなるため、液体に個体が浮いてしまうという珍しい物質で、水や水蒸気は熱を通さず、熱を溜め込み、温度の平均化を助けます。
火星は大気が薄く、水や水蒸気はほとんど有りません。火星は北極や南極でなくても、日中の日なたが0度で、夜や日陰はマイナス140度、その温度差は非常に極端です。
信じられますか?この写真の日のあたっている部分と影の部分で、140度も温度差があるのです。
その温度差が重要なのですが、それは火星のどこにいても殆ど変わらず、赤道付近でも日陰は極端に冷え、日なたは高温になります。
一方地球は世界最高気温を記録したアメリカのデスバレーの様な過酷な場所でも、日なたが50度、日陰は40度ですし、北海道でも沖縄でも1日の温度差が他の惑星に比べるととても狭い範囲です。赤道付近でも極地方でも、昼夜や日なた日陰の温度差自体は数十度以内に収まっています。
惑星全体の最高、最低気温は恒星距離と大気の濃さ、自転速度、地軸などで決まりますが、限定地域内の温度差は、熱を保存できる大気や海といった物質が大きく影響するのです。
ということは地球の気温の温度差が比較的少ないのは水蒸気を含む大気と海のお陰で、しかも水は、原子質量の軽い水素と酸素で作られ、燃焼し結合しやすく、原子質量が軽いという特性上宇宙のどこにでも大量に存在します。水には、ほかの物質にない特性が特に多い特別な物質なのです。
それが「液体」で存在すると惑星上が一気に実験室になります。火星の薄い大気では砂がちょっと混ざる程度ですし、月は何万年も大きな変化がなく、太陽や冥王星のような極端な環境では液体の水その物が存在できません。
でも水が液体で存在する環境は大気がかくはんされ、静電気で落雷は生じ、温度の幅は均一化し、環境という実験室を一定に保ち、溶かして混ぜてあらゆる物質を結合させ物質のあり方を変化させます。水がある星は自然の科学実験施設になるのです。
このような水が液体で存在する恒星からの距離がちょうどいい領域をハビタブルゾーンなんて言ったりしますが生命が誕生するかもしれない領域とされていおり、火星はギリギリハビタブルゾーンに入ってるのですが、質量が足りないとか、磁場がないなど、少しだけ条件が足りずに水が液体を保てなかった惑星なのです。
そういった火星とは違い、宇宙には現在もなお、水が液体で存在しハビタブルゾーンにある惑星は信じられないほど存在し、その全ての惑星で今もなお、水が何かを溶かし自然が何らかの実験を行っています。宇宙の歴史の中でそうやってずっと実験されてきました。
その宇宙の悠久の時間の中で偶然どこかで原子がかき回され、新たな分子が生まれ、そうして有機体が生まれ、たまたまDNAと呼ばれる連鎖構造が生まれたと思うのです。沢山の偶然が重なる必要はありますが、現に生命は存在しますし、その確率は非常に低いと思われるものの、無限に思える時間と、信じがたい回数の自然による実験数がなせる、複数の偶然が重なっておきた結果だと思うのです。
それを、世界で一番発行部数の多い本に書かれているだけで明確な根拠が無いまま神の仕業だと言う人も居ますが、まぁその人にとってはそうなのでしょう、それはそれでいいと思います。しかし私は、こうした長い時間をかけた自然科学の力だと思うのです。
ただ漠然と地球で生命は生まれた、だとか、神が作ったとか、宇宙人が植民したではなく、地球型惑星を母星とし、環境適応した形で生命として定着した。と考えるほうが、私は腑に落ちるのです。まぁ宇宙人が地球に持ってきた、というのはありえなくもないですが。
そうして仕組みを想像するとやはり硫酸の体液を持つ生命体が生まれる理由は想像できないのです。まぁ、どれも想像だから、あるかもしれないけどね。
つまり、私が考える宇宙の生命は・・・
宇宙の何処かの、水が液体で存在する地球に似た惑星で、自然が長い時間かけて水を基板に実験した結果、偶然、DNAという構造が生まれた。それが生命となり繁殖し、その星から飛び散った隕石や惑星の組成が隕石や小惑星といった形で生命の基板を運び、別の地球型惑星に落ちた事がきっかけで、その星に生命が誕生し、繁殖しはじめた。
地球はその一例。
と考えているわけなのです。
最初の生命が地球型惑星に適応してるわけですから、当然土星や太陽に落ちても繁殖しません。ここで大事なのは「構造」と「環境」です。生命その物が宇宙空間を超えてくるのは極めて困難ですから(クマムシを除く)隕石で運ばれたものは生命そのものではなく恐らく「何らかの構造」で、それが岩石や金属に刻まれた分子レベルの空洞かもしれませんし、凍結したタンパク質そのものかもしれません、どんな形で運ばれたかは分かりませんが、生命の根幹となる何からのものが地球に運ばれ海に定着し、母星と同じような環境で、同じような過程を経て、遺伝子が進化し、数々のタンパク質を生み出し、この地球の環境上で何かをきっかけとし、DNAがDNAとして機能し始めたと考えたほうがわかりやすい。と思うのです。
この小さな地球でなにもないところからいきなり生命が発生する、と考えるよりはマシではないでしょうか。ですから私は宇宙に存在する全ての生命には共通する母星があり、我々地球生命に似た構造をしているのではないかと思うのです。
となるとですよ
当然、地球だけに生命が居ると考えるのは不自然になります。地球型惑星なら「生命がそこで誕生しなくても」生命がいる可能性は高い、という事になります。こんな銀河系の端っこの引力も小さい地球という星に、超偶然、むちゃくちゃラッキーで、運良く運ばれたというのもどうかと思います。まぁ生命の隕石が、恐ろしいほどの数飛び回ってる可能性もありますが、それは宇宙探査が進めばわかるはずです。
ということは・・・
実際、地球型惑星は沢山あるのですから、宇宙に生命は結構いっぱいいるかもしれないということになります。その上で、水は、重力や温度、圧力などが、水にとって適度でないと存在できまんせから、DNAが進化し、生命になり、活動するためには、やはり母星と似た条件が必要と考えるのが妥当だと思うのです。この地球で生命が繁栄したのは生命の母星に環境が似ているからなのです。
となると
もし、宇宙人が居るなら100Gもある星では無く、表面温度が6000度も有るような星でもなく、マイナス200度近い星でもなく、地球と(母星と)似ているような重力で、大気組成や環境も比較的似ている環境下で成長し海があり、また全面海洋でもなく、陸地も適度に有り、大気圧も適度、太陽光も適度、また磁場が有り、降り注ぐ宇宙放射線も適度。生命活動は水が必要ですし、進化後は運動や熱を出すための反応に必要な、地球生命にとっての酸素のような要素も必要。まぁメタンみたいなものでも構いませんが燃焼を助ける物質や燃焼そのものに関与する物質が存在する星(まぁ複雑な形状の分子よりは単純な分子構造で数が多い物質だとは思いますが)。そんな場所で宇宙人が生まれているのだとしたら。
そういった環境要素は、生命の成長や進化に深く関わります。
※私の考える進化論の話は別の章にして語りたいくらいなのですが、この文章は「私の中のこの世界」の話なので少しだけにします
神の存在を信じる人は進化論を否定する方が多いですが、私も単純進化論は懐疑派です。ただし、神が生み出したという結論には達することが出来ず、行き着いたところは、言うなれば前提進化だと思っています。
進化論は、惑星で生まれた生命が、その惑星の環境適応できない個体が淘汰されていき、環境適応した子孫が反映していくことで進化していくとされています。
私の考える前提進化とは、進化論のと少し違い、進化の過程は生命の母星で最初に生まれた形にある程度決まっていたという考えです。
鉄はどうあがいても銅にはなりません(極限環境下では別ですが)、温度が上がれば液体化し、下がれば固体化するよう、自然界は、宇宙のどこにいても環境が一定なら同じ変化をもたらします。
母星からもたらされた生命の基板になる「何か」を元に生まれた生命は、母星に似た環境に定着した場合、母星に似た自然界の法則の範囲内に従って進化するものだと思うのです。
もちろん、母星の環境と地球の環境は全く同じではないので、ある程度環境に左右される進化を経るのですが、単細胞生物に始まり知的生命体に至るまで、母星でも地球でも同じような段階を経ていると考えます。
その母星環境に似た自然の法則上、進化に必要なことは、母星で決定された自然界の法則に従った、進化の幅を超えたものは生き残れない、と思うのです。だから我々は宇宙空間では死んでしまいますし、燃えれば死にますし、水がなければ死にます。
そういった自然界の法則の範囲内で母星の進化と同じく決定づけられた進化の過程を有している単細胞生物は、当然のごとく脊椎を獲得し、なるべくして魚類に、なるべくして両生類に、なるべくして哺乳類になったのだと思います
また、哺乳類といった運動能力を手に入れた先には、複雑な動きが必要な手の様な器官を獲得するべくして獲得し、目は目、脳は脳というように、本来もたらされた母星に似た環境で順序良く進化していったのだと思います。
ダーウィンの言う環境進化だけでは説明の付かない変化もありますし遺伝子のコピーには情報の劣化や放射線の影響などで突然変異が実際に起きています。放射線に影響されるのも、地球環境に適応できるのも、地球ではない生命の母星で成長した際に生まれた生命の、一連の前提進化と考えると、私の持つ様々な疑問にいとも簡単に説明が着きます
そうした前提進化論を基礎に持ち、なおかつ生命の母星に「似た」地球環境へ適応していったのが今日の生命体だと思うのです
生命の母星に似た地球環境とは、例えば・・・
身長は重力に影響しますし、大きすぎると体を維持するためのエネルギーを運ぶシステム、つまり血液の様な物の圧力や、骨格の維持などに影響しますし、そうなると、脳の様な器官の維持や保護と関係します。
つまり地球と同じような地球型惑星で進化したとすれば、こういった生命科学の観点で考えても、宇宙人は人類とあんまし変わらない生き物だと思うのです。
体長が500mもあったり、精神体だけの存在だとか、3マイクロメートルの宇宙人ではないはず。体の主な組成が、宇宙に少数派のシリコンやリチウムベースというのも確率からして明らかに低いはず、やはり我々のように炭素ベースなのではないでしょうか。たとえ腕が5本あっても、1本も無くても驚きませんし、紫外線が見えても不思議じゃありませんし、多少熱くても寒くても、母星に似た環境で進化した自然の法則の範囲内の温度、であれば生存が可能でしょう。まぁ水が起点ですから多分±100度くらいでしょうか?
そういった環境下で前提進化した生命は地球外生命でも、地球上の生物に共通する何かを持ってるんじゃないでしょうか。
地球型惑星で進化したのであれば、最初の母星で偶然生まれたDNAから進化する生命の形態は、やはり地球型惑星で最適化され、それは地球で進化した我々と似ていると思うのです。
数年前は「宇宙人?馬鹿じゃねーの?」と言っていたのは自分ですし、宇宙人はいる、と断言すると、イロモノを見るような目で見られます。本当に居るかどうかは知らないし、分からない。見つかってないんだもの。でも居ると考えるのが自然で、それは地球生命に似た形で存在している、とするのが私の腑に落ちた結論なのです
地球人に似ている宇宙人は存在します。
でも矢追○一さんのように、エリア51がエイリアン研究をしていたとか、ナサは宇宙人とコンタクトとっているとか、月の裏側に基地があるとか言ってるのとは全然違う話ですからね。
宇宙や世界の法則から考えると、宇宙人は居てもおかしくないという結論になり、それは人類に似ているという結論に達したという話です
信じるも信じないもあなた次第w
第4章 科学のボーダーライン
私の中で宇宙人は存在すると腑に落ちました。我々は孤独ではありません。少しホッとしました、何故ほっとするのかはよく分かりませんw
でも「居る」と「居た」では大違いです。人類が今後も存続しうるのか、それとも滅んでしまうのか、が掛かっています。これも知的生命体なら行き着く疑問の一つだと思います。
よく地球外知的生命体の確率を話す際に「ドレイク方程式」というのが出てきます。これは、宇宙に地球外生命がどのくらい居るか推定する計算式で人類とコンタクトする可能性のある地球外文明の数を推測するため1961年、アメリカの天文学者フランク・ドレイクが作りました。その計算結果では人類とコンタクトを取れる宇宙人文明は10種のようです。
ドレイクの方程式
人類と連絡が取れる宇宙人文明の数 =
銀河系で年間あたりの10個の恒星が生まれ
恒星が惑星を持ってる割合は50%
ハビタブルゾーンにある惑星の平均数は2個
その星で生命が誕生する割合は100%
その生命が知的になる割合は1%
その生命が星間通信を行うであろう割合は1%
その文明の存続期間は1万年
というそれぞれの項目に現在知りうる情報から具体的な数値を入力し、宇宙人文明の数を導き出す方程式、
詳しくはwiki参照
全部掛けると10になり、人類は10種類の地球外文明とコンタクトがとれるとしていますが、ここで最後の1万年という値は、何を持って1万年としたのでしょうか?この項目はドレイクさん自身も「推測の域を出ない」としています。
文明の存続期間が1000年ならコンタクトが取れるのは1種類、10万年なら100種類となり、大きく変わってきます。
要するに「居た」としても、人類文明と同時期に存在し、その文明が知り合う確率は極端に低いというものです。もし文明が長くても毎回3千年くらいで滅んでしまうなら、運良く通信はできたとしても、お互い会うことはないでしょう。はたして文明はどのくらい存続できるものなのでしょうか。これは地球人の作る文明も、いるかもしれない宇宙人の作る文明も含んだ想定ですが、残念ながら我々は、文明というものは地球人のものしか知らないので自分たちを例に考えるしかありません。
想像してみましょう
かのローマ帝国はあっさり滅びました、エジプト文明も、マヤ文明も、今はもう壁画や遺産が残る程度。地球の歴史を振り返ると文明は滅びる、と思われがちです、我々近代文明も、ついこの前まで、核戦争で滅びると怯えていましたし、化石燃料の枯渇や、地球全体の汚染は今も問題視されています
アメリカのイエローストーン国立公園の噴火で人類が壊滅状態になるという予測まででています。文明はいつまで存続できるのでしょうか。
そもそも文明とは何でしょう。私の考える文明とは、知的生命体が絶滅せず、情報や知識(エンジンの作り方の様な情報)を保持、蓄積している状態です。情報や知識には量と質があり高度な文明というのは量と質が高いのです。
人類が絶滅すれば情報だけ残っても意味が無いので文明崩壊といえます。人類が残っていたとしても、だれもエンジンの作り方がわからなければ高度とはいえません。一度作り方を見つけたとしても、本やサーバに保存された情報や知識が失われ、だれも作れなくなれば文明は後退、崩壊、消失したといえます。
人類は絶滅していないのにローマ帝国やマヤ文明が滅んだというのは、その文明が見つけた情報が後世に伝えられず絶たれたということです。何千年も続いた文明がいともあっさりと滅んでしまったのはなぜでしょう。
私が考えるに彼らは科学のボーダーラインを超えていなかったら滅んでしまったのです。彼らの遺産は壁画や岩石に掘られた僅かなもの、長期保存が難しい書籍や、その保存場所や量、後世に伝える手段が悪かったために、滅んでしまったのです。
現代文明は何を見つけ、どんな情報を、どんな形で蓄積していますか?莫大な情報を地球の隅々に分散し過去人類が保存し得ない量の知識を、ちょっとやそっとでは失われない状態で保存することに成功しています。インターネットや世界中のサーバ、または信じられない数の図書館や書籍の事です。
このおかげで現代文明は急激に文明を高度化させました。まだまだ青天井では有りますがこの100年の進化は目覚ましく、科学のボーダーラインを超えた(超えかけてる)のでは無いか、と思うのです。
科学のボーダーラインとは、わかりやすく言うと扱えるエネルギー量だと思って構いません。初期の類人猿は石を投げ焚き火を起す、くらいしかできません。情報を後世に残す手段は経験と記憶だけに頼っていたはずです。それでは文明を維持することすらままならないはず。よく進化したなと思います、だから進化に時間がかかったんでしょうね。
試行錯誤の結果、文字を生み出し情報を保存する術を覚え、長老や村長、国王が死んでも文明は後退しなくなりました。何かをきっかけに、誰かが何かに気が付き、周りが真似をし、文明は進化します。そうして、エジプトは巨大な岩石を山のように積むほどのエネルギー制御が可能になりました。
まぁ人力ですが。
ローマ帝国時代はある程度の海を渡り、地球の各地で資源を集めそれを運ぶほどのエネルギーを制御できるようになりました。もっと最近では、地下深くから石炭を掘り出し、それを蒸気機関で大量に運び何十億という人類が存続可能なほど文明は進化しました。
それでも、イエローストーンが激おこ状態になったり、イチローが打ち返せないほどの隕石が降ってきたら一発で文明終了、絶滅してしまうでしょう。
たった100年前でも、恐竜の時代と大差ないのです。
では現代文明はどうだろうか
焚き火はやがて原発になり発電所1箇所で数百万kwものエネルギーを生み出します。発明された重機は膨大なマンパワーを生み出し、石積み住宅は高層ビルになり、もうそろそろ、地球上で太陽をつくる、核融合の技術も手に入れそうです。
自然災害や隕石衝突ですら回避可能な段階に達し、宇宙の謎を解き始め、地球引力圏を脱出し他の惑星へ移住する計画すらあり、それらを可能にした全ての情報は世界中に分散されながらもネットワークでつながり、全人類に共有されています。
こうなればちょっとのことでは失われません。
人間が自然界の法則を見つけ、発明した結果、文明は高度で豊かになりました、たった100年前と比較して、何桁も大きいエネルギーを自在に扱い、70億もの人類が永続的に存在し続ける事が可能になりました。
たかだか1000年前は大きめな図書館が火事で燃えたら文明が一気に後退するはずが、いまは都市が1つや2つ吹っ飛んだところで文明はビクともしません。たとえ氷河期が来ようが、巨大な隕石で地球そのものが吹っ飛んでも、人類は大量の情報とともに宇宙に逃れ、その文明を存続させるでしょう。
我々はローマ人とは違う段階に来ています
我々地球人類は未来永劫滅びません。地球上じゃ無いかもしれないし人口は減ってるかもしれませんが、数億年後でも人類は何らかの形で文明を維持しているでしょう。
エネルギーは核融合でほぼ無尽蔵と考えていいと思います。LEDでレタスが作れるわけで食料は、太陽すら無くても自給できます。太陽を作れる時代がもうすぐそこまで来ているからです。分子原子の秘密がわかったために殆どの物質がリサイクル可能になり、水や酸素は僅かな量さえあれば未来永劫使えるようになります。人が物理的に生きるために必要なものはエネルギーその物をも含めて全て生み出せるようになります。
私の漠然とした予想では「早ければあと20年」でその領域に達します。どんなに掛かっても後100年、まぁ絶対そんなにかからないでしょう。
それが科学のボーダーラインです。
文明が決して滅びない様になるために必要な知識と扱えるエネルギー量のことです。
では、宇宙人が、過去、または現在に存在していたらどうなるでしょう。我々人類の科学は、200年前は電気すらままならない時代でした。ほんの50年前にコンピュータが発明され一気にここまで来ました。人類の歴史自体は2万年くらいありますが、科学が急激に進化したのは実質ここ100年です。
わずか、たった、ほんの、100年で、太陽作れるようになりかけています。それに必要だったのは数十億の人口と数百年たらずの歳月という、簡単な条件だけでした。偶然生まれた一部の天才の影響は大きいですが、人口増加とともに天才が生まれる確率は上がります。
もし地球外でも、最低限の文明と呼べる文化が生まれた場合、文明が進化するのは当然。これは人類も宇宙人も同じだと思います。その条件でもし科学のボーダーラインを超えたら、その宇宙人はもう滅びないのです。
過去に宇宙人がいたとして、万が一科学のボーダーラインを超えていたとしたら、今もなお、存続しているはずです。滅びないのですから。百万年前にボーダーを超えた宇宙人文明も、1000年前に超えた文明も結果は同じで、一旦超えてしまえば残り続けるのです。
大局的に考えてください
宇宙の長い時間の中で、人類と同時期(近年)にボーダーを超える文明がある確率と、過去数十億年のどこかで人類より先にボーダーを超えた文明がある確率どちらが高いか。考えるまでもなく、後者の確率が高いのです。
じゃあ、もし、これは例えばですが、5万年前にボーダーを超えちゃった宇宙人文明があるとします。5万年後のいまも滅ばずに存続するはずです。そんな何万年も前にボーダーを超え、何万年も続いてる文明ってどんな科学力でしょう、何万年も続いてるんです。我々はたった100年です。もし10億年前にボーダーを超えていたら宇宙を支配してるかもしれません。我々があまりに猿だから蚊帳の外ってだけかもしれません。
まぁ、たった100年で太陽を作るところまできてる人類が、宇宙における文明の中で特別、別格レベルで優秀という可能性もありますが、相手は5万年文明かもしれないし、10億年文明かもしれないのです。私達がまだ知らないことをたくさん知っていても全くおかしくないですし、そんな宇宙人は宇宙にたくさんいるかもしれないのです。
猿の時代は焚き火すらままならなかったはず。焚き火から始まり金属を見つけ、蒸気機関、エンジンを生み出し、発電機が生まれ、火力から原子力、この先は核融合と続きます。おそらくその先は反物質や重力、余剰次元や亜空間、果ては時間の制御など、自然界ではおよそままならない現象を操れるようになるのかもしれません。
宇宙人文明は当然、我々より進んでる可能性が高いと考えるのが妥当で、そういった高度な技術を持っていると考えるのが妥当ではないでしょうか。そして、たぶんきっと宇宙人はどこかに我々と似た形で存在している。そんな気がしてならないのです。
何度も言いますが私は科学者でもなんでもありません。
想像でものを書いてるだけで根拠も何もありません。
でも、ここに書いてることは三段論法みたいではありますが、想像しうる消去法で検討し、結論を導いた結果私が納得する形の結果に至ってる訳です。どこまで行っても仮説では有りますが、まったく根拠が無い訳でも無いと思ってます。
可能性はあります、宇宙人は存在し、人類より長く存続し高度な科学力を持っている。どこまで可能で、どこまでの科学力を持っているかはわかりませんが、ここまで、すべて私が腑に落ちた想像上の仮説なのです。
ですから私は、宇宙人は居ると思います
そんで、なんか旨いものでも食ってるんだろうなぁ
第5章 宇宙人がいたらどうなる?
今まで書いた通り、腑に落ちることを確認しながらここまで想像で話てきました、仮に、宇宙人がいたら何をしてるだろう、とさらに想像します。
たぶん彼らも、夜空を見上げるでしょう、そして「我々は孤独なのだろうか」と、思いを馳せる、ほぼ間違いないと思います。
なぜなら彼らは私達に似ていて好奇心を持っているからです。その好奇心のお陰で彼らも科学を進化させ、その過程で、人類と似たことをし、実験し、観察し、推測し、検証し、証明し、情報を蓄積させ、後世に文明を伝えたはず。
その中で、あまり利益にならないかもしれないのにもかかわらず、我々もやり続けていることの1つに、宇宙探査があるのです。
ガリレオが望遠鏡を覗き出す遥か前から夜空を見上げ星座を紡ぎ、宇宙探査を続けていますが
ぶっちゃけ、大した利益にはなってません。
スペースシャトルなどの宇宙開発の過程でアルミホイルが生まれたり、アルミ蒸着や耐熱レンガやGPSといった人工衛星など。生活に役立っている副産物はありますが、宇宙探査自体の利益といえば正直、好奇心を満たしている、くらいでしょうか? それでも何百年も情熱を注ぎ続けています。これは好奇心のなせる技で
好奇心は科学の発展に不可欠です
宇宙人が文明を持っているなら間違いなく好奇心を持っており、その結果宇宙探査をするでしょう。
そして彼らも我々と同様、宇宙で孤独な存在なのかどうかを検証するため、自らの星と似た星を探そうとするはず。
たかだか100年文明の我々が作ったハッブル望遠鏡ですら相当遠くを見れるんです、彼らの望遠鏡はよほど高性能でしょう。
同じような星を見つけられないはずがないんです、そして色々な憶測を立て、行ってみたい、行ってみようとなるはずです。
人類ですら火星に行こうとしてるところです、高度文明は母星を出たがるんです、好奇心や探究心がそうさせてしまうのです。
まして科学力が有り、行ける技術があるなら行こうとするはずです。
もし我々が火星に人類を送り込んだら何をするでしょう、まずは探索、観察、検証するはずです。
おいそれと火星をぶっ壊すようなことはしません。もし生命を見つけようものなら間違いなく観察し、時々ちょっとだけ捕獲し実験をします。いきなり滅ぼそうとはしません。
高度に発達した文明は慎重なのです、まぁそうでないこともありえますが、慎重でないなら文明そのものは高度に発展しないと思うのです。
なぜなら、高度な文明は結果を予測しなが行動をします。
もし生命を見つけた場合観測を続けるためには、対象を滅ぼしたら観測できません。たとえそれが害をなす存在だったとしても慎重になるはずです。
人類がまだ高度文明とはいえない頃は、見つかった病原菌を絶滅させてしまった過去も有ります、現代においては、動植物の絶滅を防ぐために努力しているのはもちろん、エイズウィルスやエボラ出血熱のウイルスですらちゃんと保管されているのです。
慎重に調査し、観測するためにはどんな方法がいいのか、やはり慎重にならざるを得ない。そして、観察や調査から得られた情報を文明の存続や進化に役立てる。それが高度な文明の取る行動だと思うのです。それを踏まえて改めて考えます。もし宇宙人が地球まで来ているとしたら・・・
何をしに来てるんでしょう?
何度考えても、やはり最初は「観察」しに来てるんだと思います、でも、普通は隠れる必要がありません、堂々と観察するはず。
シャーレの中のバクテリアを観察するのと同じ、慎重に、壊さず、殺さないよう色々与えてみたり実験をするはずです。そして、自分たちのルーツや、自然界の法則を探そうとするはず。全ての文明がそうでないにしても、その確率は高いと思います。どんな生き物でどういう仕組みで、何をしていて、この先どうなるだろう、そういうった好奇心が「はじめは観察」という行動を生みます。
彼ら宇宙人が地球を見つけている確率はとても高いですし、人類は彼らにとって遅れた科学力ということは間違いありません。人類から見た猿やイルカと同程度みたいなものと思うのではないでしょうか? もし来ていたら観察から入ることは間違いないはずです、しかし、観察行為が観察対象に影響を与えたら観察になりません。
人類は知性がありますから、彼らの存在が公になれば観察ができなくなるのだと思います、事実、大騒ぎになると思います。ときどき見に来る程度なのか、何らかの技術で隠れているのか理由は分かりませんが、人類は観察対象なのであまり大きな影響を与えないようにコンタクトは控えめで慎重になると思います。
そんなわけで時々こっそりさらって人体実験してみたり、ちょっと姿を見せてどんな反応するか見てみたり、あの国はリーダーシップがあるから軽くコンタクトとっとくか、みたいな。
そんな感じなのかもしれません。
あちらの文明は恒星間飛行を出来るほどの科学力が有り、人類より高度でなければ地球まで来れません、その定義からいうと、人類は彼から見たらやはり観察対象程度なのです。
長いこと観察してるんだから翻訳は当たり前、もし日本に宇宙人が降りてきたらスタートレックのコミュニケータや、翻訳こんにゃくみたいな自動翻訳機があるか、宇宙人自身が日本語ペラペラだと思いますよ。それでも現時点でまだコンタクトをとってくれません。
なぜでしょう。
はっきりとした理由は宇宙人に直接聞いてみないとわかりませんが、理由はいくつか思いつきます。一番可能性が高いのは、推察するに、まだ我々が猿みたいな存在だと思われてるからなのではないでしょうか?
なぜ我々が猿と思われているのか、そこにどれだけの文明の差があるのでしょう。
そもそも、なぜ猿とはコンタクトを取らないと思うかというと、猿とは話が通じないからです。言葉の壁や情報交換の手段は宇宙人側の科学力を持ってすればなんとでもなると思うのですが、宇宙人の持つ世界観、科学力、理解力、そういったものがまだ我々地球人には圧倒的に足りないのだと思うのです。
わかりやすく例を取って言いますと、3次元の立方体は簡単に想像できますよね。いわゆるサイコロです。これは我々の住む3次元の物体で、我々は生まれた時から3次元空間に身をおいているため、想像しやすいのです。
それが4次元の立方体となるとどうでしょう?
この右のアニメ画像は、4次元空間の立方体を「回転」させているものを3次元的に投影したものを2次元の画像にしているわけなのですが、分かりますか?真ん中にある小さな四角は外側と同じ大きさです。
外にある立方体の手前にある面は、中にある立方体の手前にある面より遠いのですが、想像できますか?
次元数が上がっただけで何が何やら全く理解できません。これは我々地球人の理解力のなさで、想像力の乏しさでもあります。宇宙人はこういった空間の認識力も、おそらくナチュラルに理解できるのでしょう。私も何度も挑戦していくうちにどうなってるのか理解できるように成りました。
おそらく、普通の人は理解するということも理解できないと思います、これは我々人類全体に不足している理解力の一例ではありますが、4次元などに興味が有る方は
Dimensionsという動画を見て下さい、まだニコニコにあったので見れます。
4章あたりから意味不明になって来ると思います。時間を掛けてゆっくり何度も見ると、だんだんと4次元のことがわかってくるので面白いと思います。
理解力や想像力について、こういった科学や幾何学、数学の知識がこの数百年でどんどん深まっていっているのが事実です。
しかし我々は現時点でまだまだ、つまらない事で争い、私利私欲で殺し合い続けています、それも含め、自然界の法則や、宇宙の構造を解明する科学力や理解力、そういったものやが彼ら宇宙人のお眼鏡に叶うようにならなければ、話しにならないのです。
しかしその手においても私の解釈では1950年頃を境に、その辺もだんだんと良くなってる気がするのです。戦争や争いは絶えず、あいも変わらず5000年前と同じく殺し合ってる地球人ですが、人口が増えたため、蚊帳の外の人間は増える一方。やりたい奴はやらせておけ、と言わんばかりです。
しかし、その点においては、文明が脆弱な物にならないためには多様性が必要ですから、いろいろな人が居ていいのです。おそらく宇宙人も何百億という人口を抱えていながら全員が平和に過ごすということはできていないでしょう。
それができていたら文明は脆弱になるのです。
それよりも、殺しあう数より殺しあう理由と、反発しあう正義のあり方が問題で、それはこの50年間の争いと、人類史5万年の争いで大きな変化が有ると思うのです。家族や子供の為、領土の為、お家のため、国のため、金のため争いは減り、プライドや文化のための争いが増えている気がします。それは解釈の違いによるもので複数の正義が起こす戦争です。
もちろん争いがあればお金は動くので寄ってくるコバンザメみたいな輩は今も昔も必ず居ますが、争い事の主題が昔と大分違う気がするのです。
この辺りは、人によって意見が違うのでなんとも言えませんので、宇宙人がどう思うかも、なんとも言えません、しかしこの変化は、インターネットや交通機関の発達により、地球全体での文化の統一が始まりかけているのではないかと思います。
この先何年かかるかわかりませんが、今よりももっと有意義な殺し合い?になっていくと思います。それは宇宙人も同じことをしていると思うので、そうなって行けば宇宙人がコンタクトを取らない理由にはなりません。
残るは、自然界の法則を発見し、科学技術の進化の度合いです。
彼らがコンタクトを取ってくれる残りの条件は
私が思うに、彼らが考える科学のボーダーラインを我々が超えた時、初めて対話ができるようになるんじゃないでしょうか。
ただの猿が知的な猿に進化したと認められる必要があるのです
私の勝手な想像では、永続的な核融合が可能になったらだと思っています。核分裂制御成功の時は来てくれませんでしたけどね。
自然界には様々な現象があり、単純なものでは燃焼があります。それだってチンパンジーには制御が困難な現象です。
宇宙における制御困難な自然現象トップ10くらいに核融合が有ると思うのです。規模は小さくとも恒星の仕組みを直接制御ですからね。右の写真は核融合時のプラズマ発生をとらえた写真です。CGではありません。
核分裂、核融合、反物質、重力制御、光速突破、亜空間、時間制御など、自然界の中の現象でも難しそうな事は多いですが、難易度的により難しそうな自然現象を制御できる技術を手に入れた時に彼らは我々人類を、ちょっと頭のいい猿と認めてくれて、そろそろ挨拶に行っとこうか、と思ってくれるのではないでしょうか。
2019年に日本が核融合施設を完成させるべく既に建築段階に来ています。世界中の研究機関が競って研究し、核融合はもう殆ど成功といっていいところまで来ているのが事実です。
まぁ現時点でコンタクトを取ってくれていないのも事実ですが、たぶん、何千年、何万年も前から地球に来て観察を続けているはずです、ですから、ちょっと数十年くらい様子を見ようというのは大した時間じゃないのかもしれません。
なぜそんな昔から彼らが来ていると思うかというと同時期に同程度の文明が出会う確率より、どちらかの文明が科学のボーダーラインを超えてから長く続いていなければ出会うことはないからです。
あっちの文明は5万年か1億年か分かりませんが、人類はまだ100年しか経っていないのですから。
それに、古代の遺産で気になる物が結構多いことも挙げられます。ほとんどは瞬間的な天才が生まれたか、誤解された解釈のせいだとは思いますが、現代的には「たぶんこうやったんだ」「こうすればできるやん」と結論づけていることがほとんどで、つじつま合わせ、こじつけっぽいものが結構あります。
水晶のドクロなんかは、当時の技術では作るのは不可能と言われオーパーツ扱いされてきましたが「80年掛けて磨けば作れるやんけ」なんて言われて始め、改めて調査したら19世紀産だった、なんてことが後から分かりました。
このように後になって判明する誤解されたオーパーツも結構あります。しかし、現代においてなお、その製作方法や制作意図が全くわからないものも無数にあるのが事実です
飛行機が存在しない時代に作られたコロンビアの黄金シャトルや、古代文明の壁画に描かれたおおよそ当時のものとは思えない不思議な絵の数々や、大抵のものは説明がつくのに、製作方法や時代が合わない意味不明なオーパーツなどなど。
アンティキティラ島の機械なんかロマンの塊です!2000年前に作られた天体運行計測機械式歯車です。地球が丸いことすら不明瞭な時代に機械式歯車で星の運行を予測とか、もう、どういうことなんでしょう。
神話や民話として語り継がれている過去に起きた人知を超えた現象。時々宇宙人が手を貸してくれたとしか考えられない大昔の遺産、我々にとっては手を貸してくれた、と思いますが、宇宙人にしてみれば「これ教えたらどうなるかね?」といった実験なんでしょうね。
まだまだあります。地球が丸いことすら知られてない時代に書かれた太陽系らしき絵であったり、1513年に書かれたピーリー・レイースの地図だったり(この地図はこの年代にまだ見つかっていないはずの南極の存在を示唆し、経度緯度もわからない時代にあまりにも正確な大西洋の両沿岸が記されている地図でオーパーツとされています)なんか上げればきりがないですけど、人類の歴史の中でもやっぱり、こういった不可解な物は多々あります。
こういったものは、ある種オカルト扱いされていますが、その全てが間違いなく、人類だけの手で生み出されたものなのかという証明もまたできていないのが事実です
そういった人類の遺産の中で明らかにこじつけで解決してるものや、情報量不足などでこじつけすら出来ない物が存在し、もし、宇宙人が地球に来ているのであれば、人類の遺産ももしかしたら宇宙人の関与が?
という懸念は残ります。
タイムマシンがなければ正確にはわからないんですけどね。
また、近年においては、まぁ昔からUFO写真ってのはありますが、ほとんどは私も捏造だと思います。でも本当に全部偽物なんでしょうか?普段嘘をつかないような人が言ってたり、何の得にもならない様な人が言ってたりもします。
嘘や本当が混じっている中からどうやって本物を見分けたらいいんでしょうか?
そこで考え方を変えます。
いずれコンピュータがもっと進化すれば、だれでも現実と区別の付かないCGが作れるようになり捏造は一層増えると思います、写真や映像を見てこれは嘘、これは本物かもしれないと論議しても結論は出ません。その映像が嘘か本当かは、一切無視して写真や映像以外の条件で、説明の付かないものに限定すればいいのです。
近年、デジタルカメラが人類を席巻し、カメラ付き携帯なんていうものが一人一台の時代になりました、だれもが映像を簡単に撮れるようになったせいか、ここ数年、UFOの目撃談がすごく増えている気がします。
その大半は、個人が「UFOみっけた、見てみて、UPしたよ」とか、いかにも誰かがネタで作ったCGぽい映像なのですが、中には本当かな?と思うものもあります。
でも、そんな事はどうでもいいのです。映像自体は検証しなくて結構です。どんなにリアルなCGでも、それがたとえ、本物の地球外知的生命体に関与する未確認飛行物体を撮影した映像でも、それ以外の条件を満たさないと私は信じるには値しないと考えています。
私が信じるに値するUFO映像の条件とは
「個人同士に明らかにつながりのない不特定多数の人がそれぞれ離れた地点で、別のアングルから撮影されており、写ってる映像が人知を超えていると明らかにわかるもの」
まずこれが満たされなければ、どんなに本物っぽい映像でも、たとえ本物でも信じるに値しないと思います。
最近の話ですが、ロシアの都市部で大きめな隕石が目撃されました。落下中に大爆発しましたが、その衝撃波は沢山の住宅の窓をぶち壊し止まってる車の盗難アラームが鳴り響きました。ロシアはドライブレコーダー設置率が高く、様々な映像が残っています。また人々は瞬時に携帯を空へ向け、無数の動画がネットにアップされ話題になりました。この隕石が本物か偽物か。疑う余地がありません。
もしUFOが飛んでいれば、人々に同じことが起きるはずなのです。都市部でなければ多少目撃数の減少はあれ、みんな携帯もっててすぐ撮影できるんです。撮りますよ当然。そしてネットにアップしますよこんな時代なんですから。
この時は誰が見ても隕石、という映像だったので、当然隕石なのですが、それが、誰が見てもUFO、になればいいのです。
この場合のUFOは未確認飛行物体というものではなく、地球外知的生命体の乗り物もしくは探査機、またはそれらによる自然現象の事ですからね
「何かわからないもの」を撮影してるのですから「何かっぽいもの」では駄目。明らかに人類が作れない動きをする説明の付かない何かが、沢山の人に目撃され撮影され大きな話題にならないと駄目なのです
映像の質がある程度高く、周りの景色との縮尺などがわかりやすく、ホバリングや突然の加速、分裂や、消滅、など明らかに人類が作ったものではない挙動を見せる映像。
手ブレがなく、ズームしすぎたりしてなく、鮮明に撮影されているもの。
それらが、もし編隊を組んだり一定の周期で光るといった「自然界で起こりうるはずの無い挙動」が撮影されていたら、それは間違いなく人為的な何かであることに絞りこまれます。
となれば、人類では説明の付かない人為的な飛行物体とせざるを得ません。鳥でも風船でも照明弾でもヘリでもない何かが浮いていて、大都市で目撃され、何百人もが別の角度から撮影した未確認飛行物体で、それは人知を超えた不思議な挙動をするものなのです。はたしてそれは一体なんなのでしょう?
目撃者、撮影者全員に何らかのつながりがあれば捏造も可能です。1個都市規模で、町おこしをしようとしているならわかりますが、それをやれば情報は漏れ、捏造であることは火を見るより明らかです。少人数なら可能ですが、私はそれを信用に値しないと考えるのです。
近年そういった映像がネット上に多く公開されるようになりました。
エリア51だとかロズウェル事件みたいな古い話ではありません。ごっちゃに扱われオカルト扱いされがちですが、私はそれらとは別物と考えています。
ネットで「UFO 動画」などで検索すると大量のUFO動画がヒットしますが、そのほとんどは画質が悪く、誰かが一人で撮影したものです。必要な物は、都市部で複数の、不特定多数の、共通性のない人物たちが、あらゆる方角から撮影された未確認飛行物体の映像です。
例えば「Phoenix Lights」あたりで検索してみてください。1997年3月13日アリゾナ州フェニックスを中心とした広い地域で、大都市を幾つにもわたって飛行し、目撃者は数千人に及んだ未確認飛行物体の目撃事件です。
だいぶ昔の事件ですし、エイリアンクラフトかどうかの証明はどうあがいてもできませんし、今となっては、そのV型の光がデルタ翼のステルス爆撃機の夜間試験飛行だったのではないかと言われたり、便乗捏造映像が大量に出まわってしまっており、なんとも言えない目撃事件になってしまいましたが、ほんとうのところはどうなんでしょうか。
記憶にあたらしいのは、2014年7月6日にイタリアのミラノで撮影されたUFOです。
これや、
これです、この日撮影されたものは、複数人が別々のアングル、地域から撮影しyoutubeにUPしています。若干風船のようにも見えますが分裂したり、変形を行っています、整列してくれたらもっと良かったんですけどね。映像の鮮明さが足りないので、レンズフレアや手ブレなどが若干信ぴょう性を欠いてますが、正直何なのかわかりません。憶測で言えばやっぱり風船かな?まぁわからないから「未確認飛行物体」なんですけどね。
2014年1月23日に沖縄で撮影されたものも一時有名になりました。最初の発表では自衛隊も、アメリカ軍も、その時間は演習をしていないと発表されたのですが、後になってやはりアメリカ軍の演習の照明弾ではないかということで収束しました。この目撃は撮影人数多く無いものの、捏造CGでは無いのではないかという人が多かった上、空中での静止時間と発光時間がとても長く、発光物が長時間落下していないことから、当初は照明弾のたぐいでないのではなく未確認飛行物体だと言われました。私も映像だけは信ぴょう性が高いと思いましたが、条件を満たしてないため正直微妙なところです。ですが本当に照明弾なのでしょうか?
興味が有る方はこの辺を見てください。
こういった、突発的な目撃は、世界中で今も起こり、沢山の動画がUPされる時代になりました。比較的多いのが、大事件や大惨事、大災害時なんかに多く、3.11にも9.11に撮影されたものはかなりあります。
また近年、NASAやJAXAは宇宙空間や月や火星と言った宇宙で撮影されたUFOと思しき映像を、小出ではありますが公開する様になってきました。何か意味はあるのでしょうか。それともそういった映像や情報全てが宇宙開発を進めるために国民の注目を集めるための捏造なのでしょうか?
正直なぜなのか、私には判断できません。
が、そういった事実が有るのも確かです。
私はオカルトは好きじゃありません。
雑誌Newtonは読みますが、ムーは読みません。正直言うとやや嫌悪感すら懐きます。事実に基づき検証し、本物かもしれないと思える映像が増えてきたのは、本当にここ10年以内で、それは携帯カメラの画質向上と普及率、インターネットの一般化に比例している気がします。
映像がUFOに見えるか見えないか、という条件、以外で判断した「未確認飛行物体」が本当は何なのか色々想像してみるのですが、やはり地球外知的生命体による乗り物または探査機、もしくはそれらによる自然に対する影響くらいしか思いつかないんです。
好きな先生の一人ですが、大槻○彦教授のようになんでもかんでもプラズマ、プラズマと言う科学者も居ます。実際に自然現象は数多く起こりますし再現可能な物も多く現在でも解明されてない物も多いですから、大半はまぁそういうものかもしれません。
でも自然現象は自然現象であって、人為的かどうかは区別をつけることが出来ると思うのです。例えば整列したり編隊を組んだり、定周期の点滅をしたり、あたかもパフォーマンスみたいな挙動はしないと思うのです。
ノルウェーの中部にあるヘスダーレン峡谷という場所で、1980年頃から上空に不思議な光が出ることで有名になりました。かなりの頻度で現れるため沢山の人が目撃しかなりの数の写真や映像がアップされています、
ヘスダーレンライトで検索すると色々出てきます。
とても不思議な現象で、頻繁に目撃されるため、国際的な専門家チームが調査に乗りでた結果、数年かかって原因を突き止めたところ渓谷の地下にある岩石から発する電磁波が渓谷の特殊な形状でプラズマ発光しているということが証明されドキュメンタリー番組にもなりました。確かに映像を見ると不自然な動きをしますが、動きがランダムなので、たしかに自然現象に見えます。整列したり記号みたいに分かりやすい形状に並んだりしていれば、UFOかなと思える事例です
残念?ではありますが、沢山の人が目撃していて、見やすい映像もあり、科学者による分析も行われたUFO事件です。まぁ結果は自然現象だったんですけどね
ただ、近年登場し、話題になっているドローンと呼ばれる小型ヘリが増えれば、勘違い映像ももっと増えると思います。ドローンはまさにUFOの様に人為的に動き、空を飛びますし光らせることも可能ですから、ますますわかりにくくなっていきますね。
そうなると、ドローンが飛べないような高度や速度、飛行距離での目撃しか信じられなくなるかもしれません。こうなると難しいところです
最後に、世界各国の政府は大まじめに「宇宙人と遭遇した際のマニュアル」を正式に作成しているのは事実の様です。外国の番組で政府機関の方へのインタビューでは存在を認めていましたし、NASAやJAXAにもマニュアルは存在しています。特に先進国や宇宙開発をしている国は必ずあるみたいなのです。
まぁ、個人的に見た事があるわけではありませんが、これはどうしてでしょうか?もし本当なら、世界中の国の政府機関レベルで地球外知的生命体の存在を考慮したマニュアル化すらされている時代に、宇宙人なんか居ないとは言い切れないのではないでしょうか。
今までの想像から「宇宙人は居る」と腑に落ちてる私は、やはり宇宙人の乗り物か、探査機かその影響による現象なのかなぁと思ってしまうのです。
しかしここに来て
物理的な問題が立ちはだかります
はたして現実問題として地球に本当に来れるんでしょうか? 太陽を作れるようになりかけてる我々の文明ですら、すぐ近くの同一恒星系にある最も近くに有る兄弟惑星の火星に行くだけで一苦労しています。まして、恒星間飛行など一体どうやったらできるんでしょうか? 本当に可能なのでしょうか? たかが観察が目的でこんな遠くまで来ることなんてあるんでしょうか?
宇宙人と話をして、地球まで来る方法を聞いてみたいところですが、地球外生命も宇宙人の存在も全て私が腑に落ちたというだけで私にとっても仮定の状態です。
どこかに落ち度があればいっぺんに腑に落ちなくなってしまいます。私の想像が破綻しないためにも1つずつ腑に落ちる形で想像する必要があります。
ここまでは私の腑に落ちる定義に基づいて仮説を立てていますが、ここで、どうしても超えないといけない時間と距離の壁が出てきました。
なぜ恒星間飛行が出来ないのか、宇宙船のスピード上げまくれば来れるんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。
ですが、こればっかりはそういう次元の話ではなく、自然界の法則を超えなといけないほど宇宙は広いという事実が立ちはだかります。
そこで私のイメージにある、この世界の想像図を説明していく必要があります。もし世界が、私のイメージ通りなら、きっと宇宙人も地球にこれると思います。
それを話す前では、やっぱり宇宙人は居て、地球に来ててコンタクト取らないように観察してるのかな???? と、最後に疑問符が残り、腑に落ちきりません。
なので、時間と距離の壁を超えることが可能だという世界の想像図を次の章で説明します。
ここからはますますイメージするのが困難になりますが頑張ってついてきてくださいね。
とにかく、私の中では宇宙人は人類より高度な文明を持ち地球まで観察に来てる(のかな?)というところまでは腑に落ちました。
むっちゃ関西弁の宇宙人とかおったら面白いねぇ
一緒にお好み焼き食いに行きたいな~
第6章 宇宙スゲェ
でかいんです。
とにかく想像を絶するほど広いんです。
人類の作った最も早く移動している物体は、弾丸でもミサイルでもレールガンでも、地球周回衛星でもなく、1997年に打ち上げられたボイジャー1号です。時速6万1千キロ(秒速17km)で、今もなお移動中です。
今はだいたい、光の速度(時速約10億8000万km)で17時間半の距離(約183億km)くらい地球から離れたところを飛んでます。これは人類が作ったあらゆるものの中での最も速い速度の物体ですが、17年掛けてもやっと太陽系ちょっと出たくらいの距離しか移動できません。
すげー、太陽系を出てるのか!と思うかもしれませんが、なんのなんの。全然すごくないのです。それどころか
例えて言うなら、新幹線で大阪向かうために東京駅出発して17年かけてホームも出ていないのです、ホームどころか1m動いたかな? いや、それ以下でしょう、宇宙全体を東京大阪間の距離にした場合おそらく1ナノメートルも動いていない状態です。それどころか100年経ったって原子1個分も移動しないでしょう。
まぁ、ボイジャー1号から少し具体的な話をしてみます。
私達の太陽系がある銀河は天の川銀河(Milkyway galaxy)と呼んでいますが、その天の川銀河の中にある一番近い恒星(一番近くにあるとなりの太陽)と言われている、ケンタウルス座アルファ星にあるプロキシマ・ケンタウリまでで4.243光年の距離があります。すぐ隣の太陽でさえ、光の速度で4.243年かかり、そのうち17時間ぶんしか移動できていないのです、その距離を移動するのでさえ17年かかってます。
この速度でケンタウリを目指した場合、到着予定は3万7千年後という計算になります。この極めて遅い速度が、太陽を作るほどの技術を持ち始めている、人類のあらゆる物の中での最高速度です。しかも安全も生命維持も考えなくていい無人機です。
一番近い隣の太陽に人類最速の衛星が行くだけで、3万7千年かかります。もちろん片道です、往復なら7万4千年かかりますね。すぐ隣にある太陽にですよ?
また、53光年離れたアルデバランに向かって飛行中のパイオニア10号は、秒速12kmの速度で飛行し続けており、アルデバランに到着するのは、170万年後だそうです。気が遠くなる、というか、その頃には、今私の体を構築している要素は、死後完全に分子原子単位になり地球全体に拡散しているでしょう。その頃生きてるのはおそらく、荒木彦摩呂と井上喜久子とデーモン小暮くらいだと思います。
こんな調子じゃ人類の恒星間飛行はまだまだ先になりそうですよね。そんな広大な宇宙ですが、宇宙人がどこから来てるのかはわかりません。無数にある恒星系のうち、偶然一番近い恒星系から来てる確率は限りなく低いと思います。なぜなら空を見上げて見える星は全部恒星ですから。
天の川銀河だけで恒星は2000億個
あると言われています。右に見える、見えるレベルで光ってる「星」と呼ばれるものは殆どが、恒星か恒星の集団です。
2000個じゃないです、2000億個です。一瞬で想像を超えてしまい、フーン多そうだね。となりがちですが、リアルに感じてもらうために訂正します。
訂正します、正確には恒星は2001億個あります。
数字上で1増えただけなので、なんだ1増えただけか。と思ってしまいがちなのですが、ちょっと冷静になってゆっくり読んで、どういう事かリアルに想像してください。
恒星が1億個とは、太陽が100,000,000個
むっちゃ暑いわ。絶対サンオイルが足りません。でもこの数字は訂正して増えた1億個分だけなので、元に戻って想像しましょう。
太陽が200,000,000,000個ってハンパじゃねーですよ?
これは全人類が一人につき29個の太陽を持っている計算です。
なんのこっちゃと思わないで下さい。東京ドームに観客が集まり5万人がいたとすると、ドームの上に145万個の太陽がある訳です。交差点の赤信号で10人が立ち止まってると、交差点の上に290個の太陽が浮かんでるんです。そのペースで全人類70億人全員が、一人ひとり29個ずつ太陽を持っている計算なのです。
2000億個の太陽というのは想像を絶する数ですよね。
しかも我々の太陽は比較的小さい恒星で、宇宙には太陽の何億倍も大きい恒星が無数に存在します。
右の画像では左下の殆ど見えない小さな赤い点が太陽です。それ以外の巨大な恒星も1個と計算した上での、2000億個の恒星です
さらに、その恒星同士は、アホみたいに離れていて、近くにある同士でも、むっちゃスピード出して170万年とかかかる距離だけ離れています。ほとんど全部の恒星同士がです。
想像力をめいいっぱい使ってくださいね!
ちなみに太陽と地球の大きさを比較するとこうなります。赤い部分が太陽の表面です。
しかもこれは、我々の住む「天の川銀河」だけの話で、宇宙にはそういった銀河がさらに数千億あると言われています。宇宙には「太陽以上の大きさの太陽」が何兆個もあるはずなのです。信じられますか?
でもこれは、近代科学が技術を駆使して観測した結果で、間違いのない事実なのです。この信じられないくらいアホみたいに広い宇宙が実際に存在し、夜に空を見上げれば見れば、だれでも見れる場所にあるのです。宇宙には、大げさでもなんでもなく、ほんとに何兆個もの太陽が存在しているんです
それを踏まえて考えてみましょう
まぁ、宇宙人が来れる範囲というのを考慮して「天の川銀河限定」として考えても、恒星1個につき、地球型惑星が何個の割合で存在するか、これは観測と統計でいずれ具体的な数字を導き出せるようになるでしょう。
惑星は2000億の太陽ごとに数個以上存在します。天の川銀河だけでも1兆個を超えるような惑星の中で、地球型と呼べる惑星が100個や1000個のはずが有りません。おそらく何億という信じられない程の地球型惑星が存在しているはずです。
となると、たまたま一番近い恒星系から来てるというよりは、どこかの恒星系に有るどこかの地球型惑星から来てると考えるのが理にかなっています。
だとすれば宇宙人はケンタウリなんかよりはるかに遠くから来てる可能性が高いのです、一番近い恒星系ですら人類最速で3万7千年かかるのに、それよりも遥か遠くから来てる可能性が高い。どうやって来てるんでしょう。
ちなみに宇宙人の寿命ですが、地球生命体に近い存在ということが腑に落ちている時点で何万年も生きるような生命体のはずがありません。宇宙に存在するすべての物質は、より安定した形を取ろうと自然の力が働くため、遅かれ早かれ崩壊します。たとえ、意識を電子化し、体を機械化したとしても、何千、何万年にもわたってメンテナンスを続ける必要があります。そんなに時間を掛けてわざわざ地球に来ているはずがないのです。
まぁ、言いたいことというと、とにかく宇宙は
想像を絶するほど広い
速度でなんとかなるものではないのです
仮に技術が進んで光速移動に近い乗り物を作れたとしても、一番近い太陽までですら、4.243「年以上」かかります。
宇宙はでかすぎるんです。だから単純に考えて、光より速い速度で移動しないと宇宙人は地球に来れないはずです。
でも壁画はあるし、近年映像でやたら撮影されていますし、全部が嘘や自然現象とも考えにくい気がするし、やっぱりきてるかもしれませんよね。
じゃあどうやって来たんだろう
面倒くさいのはここからですw
光の速度はこの3次元物理世界では最速と言われています。その速度は、1秒に29万9792.458m進み、一般的には秒速約30万キロと言われて、この世の全ての中で最速だと考えられています。
かの天才アインシュタインがそう言ってますし、最速たる最も確実な所以は、移動速度上がると時間が遅く流れてしまい、光速に達すると、光速以下の物体から見た、移動してる物体の時間が止まってしまい、それ以上の速度を出しても、移動していない物体からは観測できなくなるからです。
当然そんな速度は出せないので、理論上の話ではあるのですが、光速以上のものは存在せず、光速以上になった物は存在ができなくなってしまうからです。
まぁこの辺はややこしい現象なので理解は難しいですから、もう少し現実的な話をすると
人工衛星は地球の周りをだいたい秒速9km(時速32400km)前後の速度で移動しています。衛星の高度により多少の変化はありますが、例えば国際宇宙ステーションISSはちょっと高いところを飛んでいるので秒速8km/s(時速28000km)で移動しており、それは83分で地球を1周回るほどの速度です。
ちなみに光は同じ83分で37254周します。
光と比較すると遅くて話になりませんが、それでも多少は高速に移動している物体なので、秒速9キロで移動する人工衛星は速度と重力の関係で長い時間が経つと時間が少しずつズレていくため、内蔵時計に毎秒100億分の4.45秒だけ遅く進むように補正がかかっています。
これは特殊相対性理論における現象により俗にいう「ウラシマ効果」と呼ばれ、速度が早いほど速度差が大きい場所との時差が増えてしまう現象です。
また、地上付近と、衛星軌道上では、地球から受ける重力の強さに違いが有ります。そのせいで一般相対性理論における重力差による時差も合わせて起きている為、地上との時間の流れ方の差が大きくなります。
地上との通信で正確な時間がわからないと、3点測量などで位置を計測するGPSなどで大きな誤差となってしまいます。その誤差を回避するため補正をかけているわけです。
とにかく、速度差が大きく引力が弱い環境下の宇宙船と、地球上では時差が生じるのです。
もし光速に近い速度で3ヶ月宇宙旅行して地球に戻ったら1万年後だったりもします。もし瞬間的に生み出せるエネルギーが無限だとして光速に達したとしても、光の速度に達すると、地上からみた宇宙船は最終的に時間が止まってしまい、宇宙船は時空を超え別の時間軸に行くことになります。理論上過去に行くことになるのかな。でも不思議なことにそれは外から見た場合で、光速移動してる宇宙船内の人にとっては一定の時間が進み、逆に地上の人が止まって見えます
これは不可解な現象で一般相対性理論だとか言われていますが非常に理解し難い現象です。わかりやすく言うと、光速に近い自動車の運転手はスローモーションに見えるというわけです。まぁ見ようと思っても実際はローレンツ収縮だとか、時間の相対性だとかで、光速移動中の車内は観察できないんですけどね。
とにかく、速度や時間や距離やエネルギーは、光速という壁に密接に関係しています、これは自然界の法則ですから突破するのは容易じゃありません。でも、この広大な宇宙で、銀河間、恒星間を移動しようとするなら、この容易じゃない自然界の法則を回避する必要があります。
ちょっと隣の星いってくる。ですら、あまりに遠すぎるのです。ましてはどこの恒星系かわからないような遠くから宇宙人がやってくると考えると、速度では解決不可能なのです。
何千年、何万年という時間をかければ遠いところでもたどり着くことは可能ですが、先に話したとおり寿命は地球生命と大差ないと思われるため、宇宙船で何千世代にも子孫を繋ぐ必要があります。そうなるとわざわざ観察しに来たところで、母星に戻れなければ観察結果が何の役にも立ちません。
数万年前に科学のボーダーラインを超えた宇宙人でも、地球に来るためには、どうしてもこの時間と距離の問題という自然の法則を回避する必要があります。恒星間飛行をするには「光の速度に近い速度」ですら遅すぎるのです。ちょっとコンビニ行ってくる、程度の感覚で行き来出来なければ観察しにくる意味がないのです。
それでも、やっぱり、地球にはUFO目撃談が後を絶たないし壁画も。まぁぶっちゃけオーパーツとか壁画なんかどうでもいいんですが、やはり一番は、地球に生命が居ることその物が宇宙人が来ていることの証明にしか思えないのです。
頭のいい物理学者や数学者が世界の仕組みを解き明かそうと、何百年も研究し続けていますが、きっと正解はどこかに有るのでしょう。このまま人類文明が進化していけばいつの日か解き明かされるとは思います。しかし私の凡才では、現時点で具体的な数式を見たところでさっぱり分かりません。
しかし、この謎を腑に落とさない限り、今まで書いた内容は破綻し、私に安眠は訪れない気がしてならないのです。
てなわけで、私の考えた世界の仕組みのイメージを説明していきます。
まず、我々の住む3次元物理世界には時間や空間、物質や法則といったものがあります、目に見えてわかる物を無視せず壊さないように、光よりも早く移動する方法はないものか、そこでよく考えられるのは「手段」だと思います。
例えばよく聞くワープみたいなものです
アメリカの連続テレビドラマ、映画にもなったスタートレックというSF作品があります。知っている方も多いと思いますが、宇宙探索がテーマの番組で、私が大好きな作品の1つです。ここでいうワープとは、このスタートレックに出てくる宇宙船、エンタープライズ号が光速以上で移動する手段の事です。転送技術やどこでもドアのことではなく、光速以上の移動速度の事です。ドラマの中では結構詳細な設定があるんですが、ワープに関する設定ではどうやら・・・・
宇宙船についてるディフレクター板とやらから、なんか見えないバリアをぷわーんと出して、そのワープバブルというシロモノで宇宙船を包み込んだ状態を維持して、艦長が「エンゲージ」って言うと、パイロットがスイッチをポチって押して
反物質エンジンがンゴンゴ言い出して、後ろの普段青く光ってるナセルって呼ばれる所がなんかピカーンって光ったと思ったら、船体がギューンと伸びてから、シュピーンて飛んで行くんです・・・・。
でもあまりに漠然としていて、私はその仕組みを想像できないんです、どうやって稼働してるのかが私の想像力外なのです。まぁSFですしね。
また、このワープ航法と言うのは幾つかの種類があります、光速を突破する方法や、空間を湾曲させる方法、時間枠から抜け出して時間が止まっている空間を移動する方法などです。
最も現実的で、理論的には可能とされるワープの方法は、空間を湾曲させる方法です。
実際にブラックホール付近や、重力、エネルギー値の高い場所では空間が歪むので、その現象を利用して、進行方向の空間をたたみ、実際の移動距離を短くすることで、結果的に光速以上の速度を出す方法です。
しかし、1997年、アメリカのフェニング博士が発表した論文をもとに、空間を曲げるために必要なエネルギー値を計算したところ、全宇宙に存在する全てのエネルギーの10倍ものエネルギーが必要とわかり、論理的には可能だが現実的には不可能という結論が出されています。
全宇宙の10倍のエネルギーとか、もうドラゴンボールみたいな話です。
現在わかっている世界の在り方では、光速以上の速度を出すことができないのです。
そこで発想の転換。
私は、手段ではなく世界を想像しました。
とりあえず言っておきますが根拠の無い想像ですからね。物理学者や数学者が読めばそんな訳ねぇと思うかもしれませんが、私の中で腑に落ちている世界の構造の話です。
では行きましょう。イメージしてくださいね。
そもそも、この3次元空間は連続して
繋がっていないのです(ドーン!)
なんのこっちゃ、と思わず想像してください。
あなたのいる場所を0として、右に1m先は、あなたから1m離れています。それは3次元空間上での1mなのです。空間は実は連結していなくて、隙間だらけで、宇宙やその外側を含む絶対的な位置座標としてはもっとずっと離れているのです。
我々は3次元空間の物質で出来てるからその隙間を認知することが出来ないのです。
なんだ電波か、と思っても構いません
どうかこのまま想像してください。
よくある遊園地にあるボールでうめつくされた
プールを想像してください
ボールプールと呼ばれる、よくある子供向けのアトラクションです。まずそれを想像するところから始めてください。
プールは場(ば)と呼ばれるところにあります。この「場」は、おそらくですが、無限に続いています。果ては無く、我々の住む空間でもありません。場は永遠に続き、言ってみればお釈迦様の手のひらの上。曼荼羅の外側のことです。それはあらゆる物を含む絶対的な物です。
というイメージなのですが、正直分かりません。
イメージは有るのですが伝えようがないので困ります。
ただ、このプールの外側に該当する、場と呼ばれる場所にはエネルギーという概念が無く、場として存在しているだけの領域でもちろん空間でもありません。
しかし、ボールプールの内部はエネルギーが存在し、我々3次元の物質では干渉出来ない空間の隙間のことを指します。
無限に広がる場の中には他のプールがあるかもしれません。チーズ宇宙論なんかで取り上げられる別の宇宙ですが我々の世界の外側なので、今はどうでもいいです。
問題は我々の世界があるプールと、プールの中にあるボールです。あの1個1個の、ボールの中の空間が、我々の3次元物質空間なのです。我々は3次元空間物質の存在なので、ボールの外は見えないし干渉できませんが、ボール同士はちょうど脳のシナプスの様関連しあっていて、ボール同士がたとえ離れていても我々の様な内部の物質にとっては連結した空間として認知されています。
ボールの入っているプールの空間そのものは、例えば余剰次元みたいなものです。縦横高さ以外の1つ高い次元なので4次元でも良いです。亜空間といっても良いです。呼び方はなんでも構いません。構造の話です。
このプールの中は無重力になってる上、煙みたいなもので満たされていて、最近見つかったヒッグス粒子なんかも飛び交っているはずです
場の中のプールの中のボールが多い部分は、結果的に質量が多い事になりますが、それは煙も濃いという事になります。またこのプールはビッグバン以前はありませんでした。場でビッグバンが起こりインフレーションを経てプールが出来たのです。
プールの中の、ボールの中の空間、の合計が私達の宇宙の広さです。したがってこのプールは宇宙以上の広さを持っています。
先に述べたように、プールの中のボールは常に隣接しているわけではなく、場所によってはにとてつもなく離れています。具体的に言うと、質量(密度)の高い場所はボールが近く、比較的密度の低い領域はボールがあまり無く、隙間だらけだと想像してください。密度(物質)とはエネルギーのことです。
ただ、ボール自体は非常に重く(質量による重さではなく場に張り付いてるという感じ)やすやすと動きません。ただし、ボールの中の空間の状態で、ゆっくりと近づいたり離れたり自由に動きます。ボールの中は我々の物質世界ですが、わかりやすく置き換えて考えて、ボールの中にネオジム磁石が入ってると思ってください。磁石が物質です。ボールの中の磁石が多ければ多いほどボールは強く引き合います。つまり質量が大きければ大きいほど、ボール間の距離は縮まり、最後には重なりだしますが、シャボン玉の様に結合するわけではなく、同じ座標上で多重になっていく感じです。
逆に考えても、引力が強いところはボール同士が近づいており、余剰次元における密度(場におけるエネルギー値)も高くなります。
プール内のボール内部以外の空間は隙間だらけですがそこには色んなモノが飛び交っています。粒子や何らかのエネルギー、トップクォークやボトムクォークだったりしますが、大半はまだ正式な名前もついていません。どのくらいの種類があってどのくらいの量が飛んでいるのかもわかりませんが、ダークマターと呼ばれる暗黒物質(質量も無く反射もしない物質)なんかもそこを飛び交っており、その量は、ボール内のすべての質量をはるかに凌ぎます。
そういった飛び交う粒子の中には、ボール内に「干渉せず」飛び交うものや、ボールもプールも両方に「干渉する」ものや、ボール「そのもの」に干渉するものや、別の次元を行き来する物があります。ちなみに近年発見されたヒッグス粒子は、我々の次元で「観測できた粒子」ですから、少なくともボール内部に干渉する粒子ということになります。
こうした粒子やエネルギーなどのうち、発見されてないものをまとめてダークエネルギーといったりダークマターといったり暗黒物質と呼んだりしているみたいですが、呼び方はどうでもいいです。煙みたいな感じだと想像してください。
ボール内の磁石はボール内部以外の空間に干渉しませんが、ボール内の磁石が多いと(密度が高ければ)ボールその物の位置が変化するため、結果的にプール内のボールの分布が変動します(場におけるエネルギー値の変動)
つまり、別のボールでも連結しているボール内の磁石同士はくっつこうとしますが、連結していないボール内の磁石はくっつこうとしません。しかし、内部に磁石がいっぱいある場合、磁力以外の力で、連結していないボール同士が瞬間的に近づく事になり、場における密度が上昇する結果になります。
またプール内の煙りが濃いところはエネルギーが通りにいです(粒子の速度が落ちます)そのためエネルギーの密度はさらに上がり、場における位置座標の密度(エネルギー)は加速度的に上昇していきます
上昇していくと密度が急激に上がります(圧縮されているような感じだと思って下さい)それにより、粒子は別の粒子の状態に変化していきます(炭素がダイヤになるような感じだと想像して下さい)そうして、様々な粒子の状態が同時に存在する空間になります。
あらゆる粒子は次第に形態を変えながら高密度化していくわけですが、何らかの特定の粒子の密度がある程度を超えた際、粒子はボールに変化し、その結果空間が生まれ、その後内部で物質が形成され質量が生まれます。
これは粒子密度が加速度的上昇する現象の一例ではありますが、宇宙空間(ボール内の空間合計)が加速度的に増大していることにマッチします
また、プール内で跳ねまわってる粒子やエネルギーのせいで、このプールは少しずつ大きくなっています。(場を侵略している)
どういうことかというと、場が無限だとしても、プール内の容積が有限であればプール内はボールで満たされてしまい、それ以上ボールが生まれることが出来なくなるため、我々の宇宙の加速膨張はいつか停止してしまうことになりますが、粒子は跳ねまわることで場にどんどん広がっていっており、プールもボールも私の想像上の理論上では未来永劫大きくなり続けます。(場が無限に続く限りですが)
ちなみに、ボール内とプール内は別の空間ではなく、ボール内はプールの空間でもありますが、プール内はボール内の空間とは別のものでボールの外側です。そのため、ボールとプールの境目は一方的にはっきりしています。まぁ上位次元ということなのですが、ややこしいので無視しても構いません。
ただし場におけるプールの部分と、そうでない部分(場)との境界は曖昧です、プールサイドが有るわけではなく、粒子が飛び交っている部分を便宜上プール内としているだけです。
先ほど話した様にプール内の煙の濃いところである特定のエネルギー密度が上がると、突然新しくボールが生まれることが有ります(新しい3次元空間が生まれる)ただ、空間が生まれた瞬間はその空間内にエネルギーは無いに等しいです。
ボールが増えると同時にエネルギーの衝撃のような物が発生し、周囲にはボール球面から押し出されるように放射状に様々な新しいエネルギーが生まれます。また、生まれたエネルギーの中には、プールに充満している煙も含まれています。この新たに生まれるエネルギーは時間エネルギーを元にしていますが、時間エネルギーについてはあとで説明します。
その新たに生まれたエネルギーによりプールは加速度的に膨張していきます、ボールを生み出すのは特定の性質を持っているエネルギーが集まった時だけで、高エネルギーで生まれたボールは大きく、小エネルギーで生まれたボールは小さいです。ボールの大きさは大小様々で、大きさは我々の3次元空間の広さそのもので1㎥のボールがあれば3次元空間内の1㎥です。
ボールを生み出すのは特定の性質を持っているエネルギーが集まった時だけで、ビッグバンの瞬間はそのエネルギーが多かったため一瞬で大きな空間が大量に作られました。今はそのエネルギーが消費しつくされ、空間が生まれた際などに少量ずつしか生まれないため、後から生まれたボールは小さいものばかりで、プールの端に行けば行くほど、ボールは小さく隙間は多く、1つの空間も狭く細かくなっています。
しかし、小さくても数が圧倒的に多くなってきているため、インフレーション後の時間経過とともにボールの数は加速度的に増えていくことに成ります。
生まれたボールは、その時点で近くにあったボールと関連性を持ち、我々物質から見える空間がどんどん連結されていきます(宇宙が加速膨張していく)
このボールが増える現象は核爆発みたいなものを想像すると分かりやすいです。プールが膨張し、ボールが増え、さらに粒子が増えて、またプールが膨張。このループが起きていますが、その瞬間には磁石の総量は増えません。
ボールが生まれる際に生み出された粒子やエネルギーの中には、ボールの中へ干渉できるものが有り、それらがボール、プール両方に干渉するヒッグス場などで減速し密度が高くなるとボールの中で結合、蓄積して初めて磁石(3次元空間上のエネルギー、最終的には質量を持った物質)になります。
ただし、中性子星の崩壊や粒子の高速衝突で、磁石自体も時々壊れます。磁石が壊れるとほとんどはボールの内部に残るのですが、一部はボールを飛び出してしまいます。その飛び出した粒子は他のボールとプール両方に干渉するため、ボールの外側を調査する際に利用できます。
と。まぁ。
これが私の想像する、余剰次元(ボールの外側)から見た我々の世界です。イメージが結構具体的なので、細かく描写したつもりですが伝わったでしょうか?
このデザインなら、私の中で色々説明がつきます。
真空のエネルギーと言われる奴は、プールの中を飛び交う、両方に干渉する粒子です。プールを移動しながらボールに当たると、ボールを貫通していきます。ですから我々の3次元から見ると、突然ある座標に粒子が現れまた消えていきます。
我々の3次元世界での質量総量が、当初ビッグバンで生まれた総量よりも少ないのは、ボールの隙間に粒子やエネルギーという形で存在していますが、我々には感知できません。ただしボールの中にも何種類かボール内と外両方に干渉する粒子はあるので、その粒子を使えば観測は可能です。お互い粒子同士なのでハイゼンベルクが唱えた不確定性原理に基き、観測行為が観測結果に影響を与えることはありますが可能は可能です。
光の速度が一定に見える理由は光子がプールとボール両方の空間に干渉するからです、光は時間と絡んでくるのでかなりややこしいんですが、ちょっとだけ光の話をすると・・・
余剰次元から見た光は常に一定の速度なんですが、ボール内部も通過するので、ボール密度がたかい領域では沢山のボールを貫通します。すると3次元空間の我々はその光がより多く移動しているように見えるはずですが、余剰次元全体を取り囲む時間は一定の速度なので我々には光の速度が一定で、その半面時間がゆっくりに感じます。これが光と時間の相対性を産みます。
また、逆に我々の様な物質が移動していく際はボール間を飛び飛びに移動していくので、ボール密度の高い領域を通る際、プールの空間における隙間は少なくなります。そこで早く移動するもの(エネルギー値の高い状態)や高重力の領域の場合、プールの空間に対して、移動する距離が少なくなります。でも、プール内の時間の流れは一定なので、反相対性が生まれるわけです。
時間の相対性はほんとイメージしにくいですよね。まぁ光と時間に関しては、想像が非常に難しいのでイメージするために、次元数を落として想像する必要が出てきます、詳しい時間と光の話は先でしましょう。
で、このプール、実際は縦横高さ以外にいくつかの別のベクトルにも広がるプールなんで、重なってても重なってないボールがあったりするんですが・・・
今は関係ないし、ややこしくなるので3次元で想像しててかまいません。
ちなみにボールから出てプール内から辺りを見るとボールは沢山重なった空間みたいに見えます。多重露光した写真みたいな感じです。あっちこっちにいろんな空間が重なって見えます(見えるつーか、別に光子でも物質でもないので見えないんだけど測定できる、という感じ)
宇宙に果てはあるのか、という疑問に関しては、有るのですが有りません。プール内にある一番外側のボールの中に私が行くと、宇宙はどこまでも続いてるようにみえるのですが、隣の関連したボールは外側とは限りませんので、進行方向前方に見える空間が、後ろ側にある空間ということもあります。つまり宇宙の縁の方に行くと、それ以上、外にはいけない空間のループになっています。まぁループというか別の空間の別の向き、ということです。ですから、実際に宇宙船で宇宙の中心から出発してまっすぐ外側に飛んでいると思ってたらいつの間にか内向きや別の方向に向かって飛んでいたという現象が起きることになります。
お、おぅ、この辺でかんべんしてやろう・・・・
この世界で重力を伝達すると言われるグラビトン(重力子)らしきものが有るとしたら、このイメージの世界では粒子ではなく磁力のような現象でしかありません。その現象の時間を停止させ観測することができれば重力子が観測されるかもしれませんが、時間は止まらないので粒子としての観測は無理だと考えています。
このイメージがもし、万が一本当に正しければ、そのうちCELN(欧州合同原子核研究所)が、グラビトンは粒子ではなかった!とか空間に隙間を発見した!とニュースを発表するかもしれません。逆にもし、グラビトン粒子発見!といったニュースが発表されれば私はこの宇宙のイメージを修正する必要が出てくるでしょう
他にも、例えば、事象の地平線で時間が止まる理由も光が曲がったり出れなくなる理由も説明が付きます。
ブラックホールの辺りは超重力状態になってるわけで、プール内のボール密度が極端に高くなっており、プール内の煙りの密度が高く、貫通しなくてはならないボールの数は無限大に近づいて行きます。
ですが余剰次元における時間の経過は一定なので、光子の移動速度が無限大に遅くなった様に感じるわけです。
しかし余剰次元における光子は時間の経過で移動していますから、理論上いつか光は出てくるのですが、その「いつか」が、時間の相対性上、無限時間後なので、その結果、光は囚われたように観測され、穴が開いたように見えるわけです。当然空間に穴が空くわけではありません。
分かりますか?わからないですよね?
もう少しわかりやすく言うと、ボールを1枚のいろがみだと思って下さい。そのいろがみにペンで線を書く行為が光の移動だとします。普通の空間は、折り紙が重ならず隙間だらけなので、線は机の上にはみ出しながら線を書いていきます。
しかし、いろがみ内だけを見ると飛び飛びに書かれます。その際、机上でのペンの移動速度は一定です。
しかし場が、高重力下、高エネルギー下では、場における空間密度が高くなると、いろがみは、どんどん多次元に重なりあい、高密度化していきます。
最後には、折り紙はくしゃくしゃに丸められ、さらに何万枚も重なった状態で圧縮されていると思って下さい。
そうなると、ペンの速度が一定の場合、場におけるペンの移動は、机の上で殆ど停止してしまい、いつまでたっても折り紙に線を書き切ることが出来ないわけです。
それが何万枚程度ならいつかは線を書き終えるんですが、事象の地平線の向こう側は、折り紙が無限枚重なっていると考えて下さい。
と、分かりますか?わからないですよね?
分からなくてもいいです、私の中のこの世界ですからw
と、まぁ。
私の中では世界は、こんな構造のイメージでなんですが
うん。まぁ、そんな感じ。想像してみてくださいw
他にも量子の不思議な振る舞いの原因や、光子の特殊な性質、無重力中で拡散したはずの砂粒が引力以外の力で集まりだす理由も、モノポールが存在しない理由も、上げればきりがありません
余談ですが、私の中の世界では磁力や重力はこの次元においては現象ということになっています。そういった、現象、というものは私の中では別の世界観を持たないと説明できません。量子力学では最大11次元ないと説明できない、とか聞いたことがありますが、多次元のことを話しだすとキリがありません。なので磁力やモノポール、光子の粒子的な振る舞い、重力やエネルギーそのものを説明する為には、この宇宙のイメージを理解した上で、さらに高次元を理解するので、この宇宙の次元数を落としてイメージする必要があり、かなりややこしい話になります。
ちょっとだけ私のイメージを語ると・・・
磁力や重力はそれぞれ別の次元(ボールの外ではなく、プールごと重なった別の次元)に粒子、もしくはループとして存在していて、私達の次元(ボールの中)からは粒子の感知できません。しかし別の次元に存在する磁力子や重力子が、ボールの中に影響され、場における同じ座標で、磁力子や重力子特有の現象を引き起こします。イメージとしては燃え盛る木炭に手を添えてたときに赤外線が暖かく感じるような、放射という感覚ですが。
その現象の放射が磁力線や重力波という形で観測されているという感じです。
アインシュタインは重力子あるで!って言ってましたし、いまCELNが探していますけど、私は、重力子、磁力子は今後もこの次元では見つからないと思っています。次元を超えて探査する方法を見つけられればあるいは?って感じでしょうか。
わかりやすく例えると、フォトショップで言う別のレイヤーに重力子や、磁力子は存在するのですが、メインのレイヤーにはオーバーレイ表示されていたり、リニアライト表示されていて、粒子その物の存在は明確ではなく、そっちのレイヤーによる影響しか観測されないという感じです
観測されるのは別のレイヤーにある現象の放射ですから、結果として単体では存在せず、波動やループ状で観測され、プラスとマイナス、N極とS極が必ず釣り合い取れているのです。
別次元で起こった現象の放射の結果がこっちの次元に届いた時点で、どちらか片方に偏っていない状態になってしまう訳です。だから私達のこの次元で磁力線や重力波は見つかりましたが、モノポールも重力子も見つからないと思います。
まぁ私の中での「辻褄の合った想像」というだけなんですけどね。
腑に落ちたイメージが有るのですが、イメージしづらいと思われるので磁力や電磁気力の重力の世界の詳細に関しては全体的にスルーさせていただきますw
とまぁ、ややこしい話は端折って、この世界を、このイメージで考えると、いろんな事がけっこうすんなりと腑に落ちるのです、私の中で、あーたぶんこうなってんだな、と理解しやすくなってくれるんです。うん、まぁ、結局想像なんですけどね。
ということで、話の本題に戻ります。
ここまでは本題を説明するための準備の話ですw
なので、光速突破の方法の話に戻しましょう。
我々はボールの中に居ます。
我々にとっての4光年先にあるアルファ・ケンタウリはプール全体から見ると、すごく遠くにありそうですが、それがつながって見えるのはその空間が同時期に作られたというだけなので連結して見えるのです。しかし別の時期に作られたボールとは連結してない上、ボールはプール内に自由に存在しているので、場におけるボールの位置関係自体は隣り合ってる必要がありません。また、ボールはボール内部のネオジム磁石を使って意図的に動かせるはずです(磁力ではなく物質密度やエネルギー値を操作する事で操作可能)また、他の動かす方法もあると思います。ボール内とボール自体に干渉する粒子を見つけて、別のボール自体にその粒子ぶつけるとかね。今はわからんです。
ボールの中にいる我々からみたらボール内部は連結した空間ですが、ボール自体は整然と並ぶ必要がないので、すぐとなりに持ってくることも可能です。どういうことかというと、実は私のすぐとなりに4光年先の空間があるかもしれないんです。
想像しやすく次元数を落として我々の3次元を文字列という2次元で考えてみましょう。
ハードディスク上のファイルみたいな感じだと思ってください。A、Bというファイルはそれぞれ5文字分の長さの領域があるとします。Aが地球のある領域で、Bはアルファ・ケンタウリのある領域です。
Aと定義した空間は40億年前から1億年ごとに生まれ、Bの空間は35億年前から1億年ごとに生まれたとします。
一番左のAはごく最近生まれた地球付近の空間で、一番右のBは35億年前に生まれたケンタウリ付近の空間と考えて下さい。
(実際はケンタウリ程度の場所なら地球がある空間と殆ど同時に生まれた空間だと思いますが便宜上1億年ずつの差を付けています)
この空間は、我々にAもBも連結して見えますので
"AAAAABBBBB"
こうなってると感じます。
でも連結している必要はないので、実際のディスク上では
"AB A B B A B AA B"
と並んでます。空白の部分はプール内のボールの外側の部分です、隙間だらけです。離れているAの空間は生まれた当初ある程度近い状態でしたが、その後、場におけるエネルギー変動により移動してしまい、現在は複雑に絡まっている状態になっている訳です。その結果、AとBは実は隣合わせになってる可能性すら有ります。
でも我々にとってBの領域は4光年先なのです。
つまり地球にある自宅の玄関と、アルファ・ケンタウリは余剰次元における絶対座標上で、隣り合わせになってたり、動かして隣り合わせにすることが可能かもしれません。
まぁイメージの中ではこう横一列ではなく、ボールも完全球面ではなく、1つの空間は水ふうせんみたいにぐにゃぐにゃと様々な形をしており、それが脳細胞の様に絡まった状態なんですけどね。
右のアニメ画像は実際の脳細胞の構造図です。私の世界のイメージとしては一番近い状態ですがこんなに満ち満ちてはいなくて、もっと隙間だらけです。
右の画像で言う、同じ色の領域を一つのボールと称していて、プール内ではこのようにボールは複雑に絡み合って、脳と似た構造になっていると思うのです。
赤が地球のある空間で、黄色がケンタウリがある空間だとすると、隣り合ってはいません。赤から黄色に正規の方法で行くためには4光年の距離があるのですが、途中の水色を通ることですぐ黄色に行ける、といった感じです。
そこから先は出来るかどうか想像を超えるので分かりませんが、ボール破っちゃっうとか、ボールとプールどっちにも干渉する粒子やエネルギー体になって、プールの中を移動してすぐとなりにあるボールに移動してしまえばいいだけです。
これはワープとか言うよりどこでもドアやスタートレックの転送や、俗にいうテレポーテーションに近い感じです。ボールを破った移動方法は言うなればワームホールみたいな感じでも有ります。もし、ボールを破ったり、ボールの外を移動できれば宇宙のどこにでも自由に行けるはずです。隣にあるボールが宇宙のどこなのかは普通はわからないので、両方の領域に干渉する粒子などを駆使して調べる必要があります。
自分のいるボールの大きさや、空間のサイズは調べる術がありそうです。ボールとプール両方に干渉する真空のエネルギーなどが、どこで生まれどこで消えるかを観測することで、本来見えないボールとプールの境界線を知ることができると思います。ですが、このイメージではボール内での短距離ジャンプは不可能で、同じボール内は、普通に移動するしかありません。
また、空間の平均的な大きさは現時点分からないので、何も調べずいきなり飛んだら、田舎のばあさん家のトイレだったり、プーチン大統領のベッドの中だったり、私の家の玄関だったり、ブラックホールのすぐそばだったり、太陽の中心という事も有り得ます。だから飛び先を事前に調査するか、目的地の空間が含まれるボールをなんとかして隣まで持ってこないといけないので大変です。
おそらくボールを動かすのは、ブラックホールレベルの高密度なエネルギーが必要なのでおいそれと操作出来ません。全宇宙の10倍のエネルギーが必要とかいう計算も出てますし。ですから、近くのボールを何らかの方法で調査しながら目的地に比較的近い領域に属する隣のボールへ、次々と連続ジャンプをしながらアルファ・ケンタウリを目指す。みたいな感じになるんでしょう。
あとは、プールの中を物質が移動できるかどうかなんですが、粒子が飛び交うんだから多分大丈夫でしょうw
プールに干渉できる特定の粒子で包み込んでやって、自分の宇宙船の外から見た状態を自然界における粒子みたいな状態にしてやれば、我々の3次元空間上の成約を超えることが出来るはず。
まぁ、このへんになるとSFチックになっちゃうので、結局スタートレックみたいになっちゃいますが、決定的な違いはエンタープライズ号は光速突破移動方式の一方、この考え方は空間ジャンプに近いので、時間相対性の成約を受けずに済むのです。正直いうと、方法自体は物理に関連した形では想像できません。
それに一度行ってしまえば、量子テレポーテーションや、物質転換(エネルギーから物質を生み出すテクノロジー)という技術を確立できれば、いつでもどんな遠くにでも瞬時に行き来できるようになるはず!
すでに発見された現象や、そうかもしれないという仮説のつじつまが合うようにデザインした私の想像の世界では、なんとなくですが時間と距離の成約を超えての移動が可能なんじゃないかなと思えるような気がするのです。
人類よりはるかに高度な科学力を持つ5万年文明の宇宙人は、こうした自然の制約の中で科学で可能なことを実現させ、遥か彼方から地球にやってきてるのかもしれません。世界が本当にこういう状態だったとしても確信を持てるわけじゃないんですけどね。
まぁこのイメージだって何の確証もありませんがw
ああ、糖分が足りないw
第7章 もっと深いところ
前章でのイメージは、本当はもっと複雑で、別のベクトル方向の次元の話など、だいぶ端折って説明したんですが、おそらく現時点でイメージするのは困難だと思います。これが確かってわけでもないのでスルーしてもらっても結構ですが、ゆっくりイメージしながら何度か読んでもらえれば少しずつイメージが伝わると思います。
面白いんですよね、こう言うのをとことんイメージするのが好きなんです。
こういう事実を含んだフィクションが好きな人は多いと思います。
さて、世界の構造が分かったところで、もっと深いところに行きましょう。具体的なイメージが詳細まで伝わってなくても結構、世界はかなり自由であるというのが伝わってればある程度成功です。
そこで、ますます眉唾というか、電波受けちゃってるなぁと自分でも思う話になるのですが、どうせなので、可能性も踏まえた胡散臭い話も、とことん行っちゃいましょう。
前章で書いた世界のイメージは、事実に基づいた憶測を含む、私が腑に落ちる形の世界を説明してきました。しかしそれでも、なかなか頭のなかのイメージを伝えるのは難しいため、かなり我々の物質世界に寄せて説明しましたが、実は頭のなかに有るイメージはプールやボールといった具体的な形状ではなく、全く違う形だと考えています。
場の中にプールがあり、その中にボールが満たされている。これはマクロ(大きい世界)の捉え方、実はそのボールが何であるか、プールが何であるか、物質世界といった、内部のネオジム磁石が本質的に何であるか、の説明は一切していませんでした。そこで今度はミクロの観点で説明します。どちらかと言うと、こちらのほうが世界の本質であります。
場というのに関しては何もない空間ですら無い、ただそこにある場所、という意味でほとんど変わらないのですが、プールと言うのは実は例えて言うと液晶画面みたいなものです。液晶画面で全面が黒い状態を想像してください。
そこに、ペイントツールで赤い円を書きます。(ボールね)すると、そこに位置していた黒いドットが赤く変化します
輪の中に灰色の四角を書きます。(磁石ね)すると、赤い円の中のドットが灰色に変化します。
赤い円が右に1ドット移動したとします。(場におけるエネルギー密度変化)すると右の黒いドットが赤くなり、左の赤かったドットは黒くなり、同時に円の中の、灰色の右側の赤かったドットは灰色に、左は赤くなります。これで場における空間が移動したことになります
物質だけが移動すれば、赤い部分は動かず灰色だけが移動します。
そこで気がつくのは、液晶のLED自体は動いてません。
実はこれが世界のすべての構造の根幹です。粒子も物質も空間も全てがエネルギーの一種の形態でしかありません。
ひも理論を知っていれば分かりやすいと思うんですが、パソコンの液晶で32bitカラーであれば1677万色があり、1677万通りの色の、どれかになる為の電流が液晶画面の全ドットに流れています。
この電流のパターンと電圧が全てです。
ボールの中の磁石と言いましたが本質的には磁石に見えているだけでただのエネルギーです。私の脳も手も歯も飲んでいる水も吸ってる空気も全てエネルギーの形状の一種です。人類史上もっと有名な方程式E=MC2の通り、全ての存在するものは全てエネルギーで出来ています。ボールも磁石も飛び交う粒子もエネルギーで、液晶画面内のドットの無限にあるパターンのうちの1つの状態でしかありません。
3次元のセルオートマトンみたいな物だと想像してもらって結構です。特定の条件下でセルの状態が刻々と変化していくというものですが、セルオートマトン自体はONかOFFの1ビット状態です。私のイメージする世界は1つのセルが32ビットみたいな感じです。
セルオートマトンとは
格子状に配置された場に、隣り合ったマスの生死でその生命の生死が決定されるという単純なルールのみで構成される生命シミュレーションするプログラムです。これは1940年代ロスアラモス国立研究所でスタニスワフ・ウラムとジョン・フォン・ノイマンが発見した概念で、ライフゲームと呼ばれたりしています。近年ではコンピュータが強力になったお陰で広大な面積をシミュレーション可能になっています。その映像を見る限り、細胞といわれる生命の最小単位や、この世界全てすらこういった構造なのではないかと思われられるようなシミュレーションになってきています。
時間の有る方は是非こちらのシリーズを御覧ください。全てを見終わった時、あなたの世界観が変わるかもしれません。
セルオートマトンでは、セルという構成単位が「生命」とされていますが、この世界ではその最小単位が「エネルギー」というもので存在しています。電気が一番近いイメージですが、電気その物すら電子というエネルギーで作られています。光も電気も物質も、私の考えでは空間そのものですら全て同じもので出来ています、それはエネルギーなのです。
ただ、1つだけ別の要素があります
それは「構造」です
システム、プロトコル、コネクション、リレーション、形状、状態、特性、呼び方はなんでもいいです。約束事、取り決め、みたいなものです。
世界にあるものが全て同じものでできてるのに、違って見えるのはエネルギー特性が違うからですが、バラバラのエネルギーが意味のある構造、例えば電子や陽子、中性子や最終的には原子、分子といった形にになるためにはデータが必要なのです。
液晶画面で黒い背景に白でアルファベットのAと書くと幾つかのドットが、Aという形に見えるように変化します。このAという「形」その物が「構造」で、白く見える為の電流や電圧その物も「構造」です。全てがエネルギーで成り立つ世界に構造が加わると意味をなします。
面白いことに、この構造というものは、そこに存在しなくても意味を成します。例えて言うとバーコードみたいなものです。レジの場合、ある種の構造がデータベースの商品と関連付けられています
この場合、白黒の線の太さというパターンが構造です。だからスキャンするとコイケヤ、ポテチ、140円、外税8%と表示されるわけです。
世界にもこういった構造が存在します。例えばエネルギーがビビビであれば鉄になり、ビリビリであれば水素になる
ビであれば光子で、ビービビビーリリーならウランみたいな感じです。さらにはビョビョーならボール外壁で、内部はビョーンとなってて、ビンヨヨーンならボールの隙間です。
そしてその構造は重なります
赤いドットと青いドットが重なった部分は紫で観測されます。個別に存在しているのですが観測すると重なってしか見えません。音楽の波形のようなもので、重なってしまう結果パターンは無限にあります。単純なサイン波形に、周期の違うコサイン波形を重ねて、波形が複雑な形になるのと同じです。プールの中にある、全ての領域はそういったエネルギーの形状で満たされていて、エネルギーのない領域を場と呼んでいます。
難しいのは音の波形のように、非常に複雑でグチャグチャになった波形から、周期と大きさの違う一つ一つの波形を取り出して最後にはフラットにするのが非常に困難というのが観測を難しくさせている理由です。人間には凄いことにそれを可能にする機能が備わっています。音楽中で知っている楽器の音を聞き分け、1つずつ取り除いていく機能です。
例えばジャズバンドの様に、楽器が少なければ比較的簡単で聞いている音の波形から、ピアノの音を引き、バスの音を引き、サックスの音を引けば無音にする事ができます。現在のコンピューターではこれすら殆ど不可能で、人間がかろうじて可能な行為です
全ての楽器を知っていれば、最後には無音に出来るのですが、たとえ人間でも楽器の数が増えると難しくなっていきます。例えば声楽団付きのオーケストラで、一つ一つを聞き分け、無音にするのは非常に困難だという話です。
人類が見つけた原子はまだほんの118種類程度ですし、原子以下のサイズのエネルギー形態も、数えられる程度しか発見されていません。未発見で、おそらくあるとされている形態のものは3000~6000種と言われ、それでも尚、複雑な形状をしている不思議なエネルギーの形状は、まだまだ幾らでも細分化できそうなものです。単一のサイン波形のような最終的な最小単位にするには、まだまだ知識と技術が足りません。
そんな、おそらくまだまだ有るであろう、自然界のあらゆる形態のエネルギーが重なっているこの世界では、人類が知っている波形を全て取り除いてなお、複雑な波形が残るのです。残った波形は知らない波形の重なりなのでそれが何を示すのかは謎のままになってしまうのです。
こうしたプールの中のエネルギーのあり方は無数に重なった構造のせいで非常に複雑なのですが、3次元物理世界で観測できるエネルギーだけならまだしも、別のベクトルに存在する別の次元のエネルギーも同時に重なっていて、我々の3次元だけでは分別するすべは無いのではないかとすら思えます。これが現時点での人類の感覚を含めた、あらゆる観測機器に備わっていないのが問題で、世界の構造を知るための弊害になっており、今後の科学の課題かもしれません。
まぁ、多次元の話をするとどんどんややこしくなるので、あまり細かい話は端折って
そんな感じです。w
液晶で例えると「電圧の種類=色」これがプール(液晶)を満たしていて、「色+ドットのパターン+バックライトの強さ=文字」(その部分の状態)という事です。
これは、物質がそこになくても、エネルギーと構造が揃えば、突然物質になり得ます。場にはエネルギーしかない場合もあれば、この構造しかない場合も有ります。もちろん両方共ない場合は「何もない状態がある」のですが(黒いドット)その何もない状態が白いドットになるためには、黒いドットが白くなるためのエネルギーと構造というプロトコル(条件)が必要なのです。
ここで面白いのはエネルギーが無く、構造だけ存在する場合です。構造というのはパターンの事なのですが、パターンその物が意味や結果を生み出すことが結構有ります。バックライトが消えて画面が真っ暗になってもパターンは存在して意味を成してるのです。そこにエネルギーが加われば粒子化したり物質化したり空間化するというだけです。
構造だけで意味を成すのであれば面白いことが起きそうなのです
例えば、白いキャンバスを眺めて、これから絵を書くキャンバスにイメージを思い浮かべます。キャンバスにイメージを思い浮かべてもキャンバスはキャンバスのままですが、そんな場合構造はどこにあるんでしょうか。これから未来に描かれるであろう図案はどこにあるのか。
世界で起きる自然現象の場合は、その図案が「自然による偶然」の結果に存在するんですが、そこに人為的な意思は存在しません、自然が起す偶然、で世界が作られています。ただし、このキャンバスの例の場合、簡単に言ってしまえば絵師の脳内にあります。
脳内には細胞で作られたシナプスという構造があります。そこに生体電気や化学物質という動きが加わり思考が生まれています。これはその人の感情や行動、記憶や想像といった全てが含まれています。もちろん、脳というものも物質ですから、細かく分ければタンパク質などの有機物質や、なんかいろんな液体や化学物質でできています。それらは全て、水素や炭素といった原子で出来ており、そういったものは電子や中性子、果てはクオークの単位までミクロの世界で考えると、生命とか抜きに、全てただの物質、つまりはエネルギーです。
私の考えでは空間(ボールその物)ですらエネルギーの一形態であると考えていますので、私達も含めて全ての生き物、有機物も無機物もミクロの視点ではただのエネルギーの一形態の集合でしかありません。その集合が脳という構造であり、生命という結果を起こしている訳です。
ここで、少し戻って「構造だけで存在する」という事を考えましょう
構造はそこにエネルギーがなくても存在する事が出来ます。構造は既に自然界に無限に備わっていてあとはバーコードを読み取りエネルギーを用意するだけなのです。
じゃあ、自然による偶然以外の構造が用意されていた場合はどうなるのでしょう。
人間の感情や意識の全ては脳で生まれているのはほぼ疑いようがありません。そういった意識や思考が、脳の活動で生まれるのか、脳という構造で生まれるのかは、死の定義すら定まっていない人類にとっては難問です。
私にとっての「生きている状態」というのは、細胞や生命活動が連鎖的に継続している状態を指しています。言うなれば、エンジンがかかっている状態で、ガソリンが供給される間は連鎖的にエンジンは回転し続けます。「死」というのはその、連鎖反応が停止したことを指し、死は各単位ごとに存在します。
というのは、細胞の死、臓器の死、心臓の死、脳の死、人間の死、といったように、それぞれの連鎖反応が停止した際に、それぞれ死が訪れることになると考えている訳です。
ですから「人間の死」については、人間の「生命活動という連鎖反応が停止すること」を死と考えています
それらを踏まえて考えます。
私達の思考や経験、感情や想像を生み出す脳という臓器そのもすら全てがただのエネルギーと構造で作られていて、しかもそれは構造だけで存在する。という話をしてきました。
この話、とても奇妙だと思うんですが
先の話のように構造だけで意味を成すのであれば
とんでもないことが起きます。
私が生まれて、数十年生きて、成長してしまったせいで、その結果、私という意識を生み出す、私の脳という構造を、この世界に構築してしまっています。
ここまでは私の中の事実に基づいたお話です。
ここからは想像のお話。私自身本当のところどうなのか、というのがまだ腑に落ちていない仮定の話です。
「もしエネルギーが失われた後も、何らかの形で場に構造として残った結果、空間に影響が起こりうるなら」
という仮定です、残るかどうかは実際分かりませんが世界が続く限り液晶の電源は切れないのですが、バックライトが消えた後でも本当に構造だけが残っていたら、という話です。
これ、いろんな事が説明できるようになっちゃうんですよ。勘の良い人は、あーなんか、これから何の話するか分かる、と思います。もしそういう人がいたらこの「可能性」もあながちありえなくもない気がするんですが・・・。
とりあえず
私はね、無神論者で、幽霊だの霊体だの、なんて胡散臭い話だとずっと思ってました。
例えば、誰かが死んだとします。脳を物質世界で形どっていた分子は崩壊します。まぁ腐ったり燃やしたりしますね。エネルギーの形と場における座標は当然変化します。つまり体を体として認識させていた光っていたドットはどっかに移動します。というのは、体や脳を構成していた分子や原子は燃やされたり分解されることで形態を変え、別の場所へと飛んでいきます。
でももし、場に脳という構造が残っていたら、その残像に意識は残るのか、という話です。
サーモグラフィ(赤外線カメラ)を通して見る世界のようなものです、机においた手のひらは、手を離しても、温度として机に残像が残ります。残った手の形は間違いなく「手の形の構造」です。
そんな風に「構造」その物が「場」に残像として残ったらという仮定です。
我々の脳は、そのシナプスの構造自体が重要です、同じ働きをする巨大な構造を持つデータベースを作ればそこに私は存在するかというと、たぶん「それ」は自らを「私」と認識するでしょう。有機体ではない生命は作ることが可能で、そこに意識をコピーすることはできるはずなのです。
過去の経験や感情、見ているものや五感から入力される情報を処理し、それらを記憶してる脳その物をまるごと再現すれば、それは私になるはずです、コピーされた直後から別人にはなりますが、意識のコピーは可能でそれが脳という有機体である必要は無く、脳の構造さえ再現できれば機能するはずです。
そのデータベースには記憶や経験、感情といったものが構造として再現されています。もちろん各細胞に適切に刺激が加わらなければ新たな変化は起きませんから、悲しんでいる脳の状態まま死んだとして、その構造が万が一場に残ったとしたら・・・。
恐ろしいことに、私はその残像が消えるまでずっと悲しみ続けるのかもしれません。
このプールという液晶画面の電源を落とすことは出来ないんです。昔の液晶画面で起きる焼きつき、みたいな現象だと考えると分かりやすいかな。
これはもう、俗にいう、地縛霊じゃないですか
呼び方はどうでもいいのです、宗教と関連付けると私にとって、とたんに胡散臭いものになるので別の呼び方をしたいのですが、日本語の単語の中で当てはまるものが他にないので仕方なくその単語を使わざるを得ません。
「地縛霊」と呼ばれている「何か」は、脳という構造が、場に焼きついた現象、その現象その物が引き起こしているのかもしれない、というお話です。
その地縛霊と呼ばれる意識の構造が、地球上の一点にとどまり続けるには慣性が必要です。椅子に座ってる私は動いてないように見えますが、地球は自転しており、さらに地球は太陽の周りを公転しており、太陽系そのものも銀河系の中心を軸に周囲を回っており、さらには銀河系そのものも移動しており、果ては、宇宙そのものが移動していないという保証はどこにもないのです。我々は、止まっているように見えて、場における絶対座標上で、信じがたい速度で移動し続けているわけです。
具体的な速度の話をすると、地球の円周40075kmを24時間で1回転していますので私たちはだいたい、時速1670kmで常時移動している事になります。しかし空気も一緒に移動していますし、星は遠く離れているので我々はその移動速度をなかなか感じることができません。
また、地球は太陽の周りを公転しています。公転している円周は4億7千万キロで、365日で一周しています。つまり地球は太陽の周りを大体時速10万kmで移動しています
さらに、太陽系は銀河系の中心から2万5000光年ほど離れており、銀河系の中心にあると言われるブラックホールの周りを時速85万kmで公転し、さらに、宇宙は加速膨張していることがわかっているため、その膨張に乗るかたちで、時速約216万kmの速度で移動していると考えられています。
信じられますか?私たちは、止まっているように感じますが、実のところ時速約300万キロで移動しているのです。以前話したボイジャーの移動速度(時速6万1千キロ)なんか目じゃありません。
人類にとってはおそろしく速い速度で移動している様に感じますが光の速度は秒速29万9792.458m、よく聞くのは秒速約30万キロで、それを時速にすると約10億8000万km。これは音速の88万倍、リニアモーターカーの216万倍の速度です。
その光の速度を持ってしても隣の恒星に行くために4年かかり、銀河系横断には10万年かかります。宇宙にはそんな銀河系が2000億個以上あり、人類は光(電磁波)を使って138億光年先まで見ることができています。
つまり、我々の移動速度、時速300万キロは広大な宇宙を考えると
実は全然大した速度ではありません。
ま、ちょっと話がそれましたが、話を戻してみると確実なことが一つ挙げられます
古来から幽霊を見た、霊体験をした、神を見たといった話は時々あることは事実ですが、霊や神が地球上で目撃できるのであれば、霊や神も、時速300万キロで移動していないといけないことになります。
つまり、霊や神みたいな存在がもし有るとすれば、その場所がたとえ地球上でも、宇宙空間座標上でも、場における絶対座標上にしても、慣性の法則に従っていなければ、ものすごい速度で遠ざかっていってしまいます。
また、地球上に至っては、地上では大気があります。大気は自転速度に合わせて動いており、我々はその空気と共に回転しています。もし大気の影響を受けずに慣性だけで付いてきている場合、大気速度差が生まれますので、大気の影響をモロに受けるはずです。少なくとも地球の自転速度は時速1670キロですから、地上スレスレを飛んでいる旅客機の羽の上にいるような状態になるでしょう。
つまり、慣性の法則をに従っていて大気の抵抗を受けない場合、幽霊や神様の衣服は一瞬で剥ぎ取られ素っ裸になった上で、地面に伏せてすっ飛ばされないようしがみつく必要が出てきます。そんな神様見たくありませんw
つまり神様や幽霊も慣性の法則に従っていて、大気の影響を受けているという事になります
また、そいうったことを突き詰めれば、温度や物質といった様々な影響を受けつつ、殆どの人間には見ることができない存在ということになります。
しかし、もしそういった法則に従っているのであれば、神や霊とされる、エネルギーや構造が慣性の法則に従っているということとを示唆し、この三次元世界でも影響を受ける事ができる上位次元の存在ということになります。
質量を持った物質や粒子は、慣性に従っているのは火を見るより明らかですが、この章で話している高次元における「構造」がもし慣性に従っているのであれば、霊が居ても宇宙空間座標上で我々と等しく移動し続けることがあり得る気がするのです
なぜなら、そもそも、私がここに存在しているということは脳と一緒に「構造」も移動している訳です
これは物質として考えると、構造も慣性の影響を受けるということに違和感を覚えますが、この宇宙はプール内という立体液晶の全ドットにおいて、ドットが動かない以上、何かが移動するということは隣のドットにエネルギーが移る必要があり、それは構造も含め、あらゆる物が共通して慣性の影響を受けないと、宇宙全体の辻褄が合わなくなるからです
しかも、世界は粒子で溢れエネルギーはどこにでも存在します。もし、そういった構造に物質にならないまでも何らかのエネルギーが加わったとしたら・・・
例えて言うと、レールという構造を走る電車のように、パイプを流れる水のように、脳という構造に自然界を浮遊するエネルギーが流れ出したら、その構造はある程度稼働し始め、死んだあとですら、意識は継続する可能性だってあります。
そうなるともう物質ではなくただのエネルギー体であり、生命と呼べる代物では無くなりますが、この場合粒子の状態ですらありませんからボールを飛び出すことすら自由です。
つまり宇宙のどこにでも自由に行けます。
そんなことを前提にたとえ話を考えてみると
愛しい我が子を残して死んでしまった父の脳の構造が場に残り、その構造が存在する場に、世界を飛び交うエネルギーが影響した場合、意識が存続し、更には宇宙のとこでも行ける。
となれば、我が子の元へ行くでしょう。我が子を見守り続ける意識の有るエネルギー体。そんな構造がいたとすれば俗にいう守護霊ですかね。
こんなことですら、私のイメージする世界像ではあながちありえなくもないという困った展開になっていくのです。
そしてさらに。追いうちを掛けましょう。
粒子でも物質でも無く、単純なエネルギーと化した私という脳の構造は、液晶に残る慣性を受ける焼きつき現象、みたいなものですから、ボールの中も外も関係ありません。
ボールの中、つまり物質世界でも存在できるわけですから、すでにある似たような構造、つまり細胞や別の生き物に何らかの影響を及ぼせる可能性も無いとは言い切れない。
眼に見えないものが他のものに干渉することは、磁力然り放射線然り、自然界において別段不思議ではありません。
見えないだけですから。
この意識を持ったエネルギーが、同じく見えないのに影響を及ぼす磁力や放射線などと決定的に違うのは、それらしい名称がまだない、というだけです。敢えて言えば霊体なんでしょうか。
もし、そうだった場合、もう一度人生をやり直したいと思えば、これから生まれてくる赤ちゃんの脳に自分の構造の影響を与えられるかもしれない。机に置いた手の温度が、机自体に手の形として影響を与えると同じように、生まれ変わりたいと思う人が、他の脳へ自分の脳の形として影響を与えることが可能かもしれない。その脳の構造は元のその人の記憶や感情、意識全てを含むわけです。
ともなれば、もうこれは輪廻や、転生とかいう物じゃないですか。
ましてや、死んだ人の脳の構造がボール(物質界)の中の物に影響を与えるってなれば、生まれてくる脳だけじゃなく、生きてる人に感じ取ってもらえることすらありえるわけです、霊感と言われるような話や、霊を見たとか、感じたとかね。
さらには、もしその脳の構造が、場から受け取ったエネルギーがそれなりに高ければ、意識が存続するだけでなく、物理世界に直接作用だって起こせるかもしれない。ポルターガイストみたいなものや火の玉なんかね。だってそもそもがエネルギーですから。ものを動かしたって、写真に写ったりしたって何ら不思議ではない。
胡散臭さ満点な話です。
でも全ては本当にただのエネルギーと構造なのです。
場に構造の残像が残り、エネルギーがあれば意識が宿る、だとしたら、死んだ人は「生まれてきて脳という構造が出来てしまったがために」世界から消えることが出来ない状態になっているかもしれない。
物質を使用する肉体は、物質の量や、物質というエネルギー値の高さ故に、未来永劫増え続けることは不可能なため極論を言えば数に上限があります。極論ですが、肉体は宇宙に存在するすべての物質で生命を作ればそれ以上増やすことは出来ません。しかし実際は死んでバラバラになって、再構築され人類の営みは永続的に続くでしょう。
しかし、構造は消費するものが無く、無限に重なった状態で存在することが可能なため、論理的に増え続けることが可能なのです。人類が誕生してから数万年、哺乳類が生まれてから数億年が立ちますが、それらの脳という構造は、今もなお増え続けている可能性が、無きにしもあらず、なのです。
これ自体「あり得る」と腑に落ちてしまうと、かなり衝撃的な結論なのではないでしょうか?
もうね、たった一つですよ、何十行か前に書いた・・・
「もしエネルギーが失われた後も、何らかの形で場に構造として残り、影響を与えたとしたら」
という可能性だけ、この一点だけを認めてしまえば、人類、数千年間、人種や文化を超えて言われ続けていた事、現代科学が胡散臭いというものがいきなり可能性を帯びてきてしまうわけです。
みなさんはこの仮定をどう思いますか?
まぁでも、ほとんどは私の想像であり、なんの確証も無いんですが、なーんか変な感じがするんですよね。本当にこうだったらどうしよう、と怖さすら感じるくらいなのです。
でもですね、私はこれを「死後の世界」と呼びたいとは思わないのです。文字からしたらたしかに死後の世界の話なのですが、言ってみれば死後の世界というより「真実の世界」なのかもしれません。
この世界は全てエネルギーだということは近代量子物理学の世界では、ほぼ間違いなのではないか、という所まで研究されているのは事実です。ひょっとしたら、と思えてくる人は居るんじゃないですかね?
しかし、ここまで話してなんですが
やっぱり、信じるも信じないもあなた次第なのです。
私が死んだら、真っ先に息子に会いに行くんだろうな。
第8章 愛と執着心
ちょっと休憩、にならないかも、しれませんが横道にそれてみます。
全てはエネルギーで、脳という構造が場における残像となり、意識を存続するという仮定にもとづいて、我々生命と自然にはどんな違いが有るのでしょう。例えば、自然におけるカオス理論のような、我々人間には到底作れない自然の造形や、想像するに無限に存在する自然界のパターンの数々。それらを目の当たりにした瞬間、知性の有る人間はそこに美しさや畏怖の念を抱いてしまうのは何故なのでしょう。
私はそれを、究極の愛の形だからなのではないかと思うのです。人間は知性を獲得したせいで、自然の一部から取り残されてしまった気がするのです。だから人間は自然を美しいと感じ、恐怖を抱く、それは自然という偶然の生み出す産物に本能的なあこがれが有り、そうなりたいという欲求が生まれてくるのではないでしょうか?
まだ長いとは言えない程度しか生きてませんが、既に沢山の心残りが有ります。息子に会いたいという気持ちは片時も薄れることがありません。執着心がずっと強かったので、いつも薄れるのは前髪だけなんです。息子に会って何かをしてあげたい思う気持ちは愛でしょうか。求めるは恋、与えるは愛、だとか愛は真心、恋は下心、なんてのもありますよね。
もう何年も逢ってないし、ちゃんと育ててあげられなくて後悔の一念です。この気持は殺意や怨念にも匹敵する強いもので、愛という言葉では語りきれない強い思いです。おそらく親になった人は殆どの人が子供を愛し、その気持は自分の命すら顧みない強いものだと思います。
でも、はたして、これを愛というのはどうだろうか。
まぁ単純な言葉の定義の問題で「それを愛と言うんです」と言われれば、ああ、そういうものなのね。で別段問題はありませんが、私はこの息子を思う気持ちは、愛ではなく執着心なのではないかと感じています。我が子を愛するがゆえの執着心、その物が愛、といった感じでしょうか。
そもそも人間にとって理想的な愛ってなんなんでしょう
私の思う愛というのは偏見や差別なく、腑に落ちる(受け入れる)事だと思うのです。例えば、美味しそうなものがある。腹をすかせた子がいる。食べさせてあげるのも愛だし、奪っても愛。一緒に食べるのも愛。ただし、そこに深い意味がない場合に限る、というのが私の理想的な愛です。
同じ奪う、という結果でも「俺が食いたいから食わせねぇ」なら愛ではなく、悪意なく結果的に「どっちでもいいや、あ、わりぃなんか食っちゃった」であればそれは愛なのです。変な話なのですが、そのほうがなぜか腑に落ちるのです。
自然は文句を言いません、山をみて美しいと思うのは愛だと思います。山は見られて嫌がりません。樹木から果物を奪っても、川を汚し山を削っても、たとえ地球を破壊したとしても、自然は一切の文句を言いません。全てを与え、愚痴1つこぼさない、これが私の考える究極の愛の形で、人間には成し得ないものなのかもしれません。
ですが、それを理想と掲げ、努力し目指してもいいではないんでしょうか?
人間の社会の場合に置き換えて考えます、例えば自然の美しい山を見るように、同じように通りすがりの美しい女性に一瞬、目が行くのは愛です。
感動したり心を奪われたり一目惚れは愛だと思いますが、目が行く時に何らかの意図があったらその途端それは愛ではなくなります。
結婚する際に内心では金勘定をしたり、損得を考えた時点でそれは愛ではなくなります。純粋に好きな人と一緒にいることが幸せ、というものであれば愛となります。が、人間には内面と外面があり、外面的には愛を語っていても、内面は愛以外の何かということが度々有るのだと思うのです。
お、良い体してんな、とか、かわいいじゃん、とか、ふしだらな想像をしてしまったり、見返りを求めてしまったら、それはその瞬間愛ではなくなり、欲だったり、差別だったり、偏見だったりという、愛以外の別の何かになります。
つまり、愛とは気の持ちようで幾らでも変化するのですが、その持ちようの難しさたるや、いかんともしがたいのであります。
まぁこればっかりは、科学とか物理ではないので、人それぞれで良いんですが、私にとって愛とは、普通でいること、当たり前であること、動じないこと、自然であること、受け入れること、であって、それが理想的なのかな思っています。
それはなぜかというと、やはり、この世界は愛にあふれているからです。全ては同じものでできていて、ただのエネルギーの一形態でしかないから。
豚を屠殺しても死んだあとに、なんで殺したと責められたりはしません、もし言われたとしても気にしないのが愛、命をありがとうと思うのも愛、死んだあとに文句を言ってきたらその豚は愛を持ってない豚ということになります。
私は当然殺されたくないので殺される前は抵抗しますが、殺されたって文句言いません。言えないのではなく、死んだあとに言わなくてもいいと思えることが愛なのかなと思っているのです。
死んでもいい、のではないですよ? 何度も言いますが私は殺されたくないので、殺されそうになったら死ぬ気で抵抗すると思いますが、もし殺されてしまったら死んだあとに、あーまーしゃーないか。死んじゃったし。と思うだけになりたいと思ってます。仕方ないよね死んじゃったんだからw
この世界がただのエネルギーの形状でしかなく、とても単純な構造で成り立っていて、万が一「真実の世界」(死後の世界)があったとしたらいま生きていることに大した意味はありません、元々意味なんか無いんだと思いますが。
たまたま生まれてきて、たまたま生きてる、そしてたまたま死んでいく、それがこの世界であり、私が世界の愛の一部になるために必要な条件に私自身が愛になる必要がある。この考え方が一番腑に落ちた結論です、別に世界の一部にならなくても良いんですが、既に私を含めたすべてのものがも世界の一部なのです。今も今後も、死んだ後も、私は世界から取り残されたと感じたり、特別な物になってしまったと感じたくないのです。
そもそもが全て同じものでできていて、その違いは大差なく仕組みは単純、脳という器官が少し複雑でその構造の中に私がいるのであれば、いま生きている体はただの借り物や乗り物に過ぎません。
全ての物、事象、事柄、それらをそのまま受け入れて、ああそうかと納得すること、これがおそらく、究極の愛なんだと思ってるんです。が、実践は超難しいです、おそらく生きてる間は出来ないと思っています。
世界は愛で出来てるのに、人間は生きてる間に愛を実行するのがなんと難しいことか。生きていると欲が生まれ偏見に満ち、差別することで自らを許すしか無いんでしょうかね。私は息子を愛していますが、それは他の子供達より息子を愛しているという差別とも言えます。愛は無条件に与えるもので普遍的であること、そこに差別や偏見はないのが理想だと思うのは、世界(人間社会だけでなく、物理も余剰次元も超えたすべてを含む世界)は、偏見や差別を持ってませんから、この世界はまさに愛そのものなのだと思うからなのです。
とまぁ、結構面倒くさい話なのですが、この愛という言葉の定義は本当に人それぞれで、私の考える愛を不愉快に思う人も多いようです。まぁこの人はこういう考えなんだな、くらいで思ってください。
でも、世界は同じもので、できてるんです
この考え方に執着心を持っている時点で愛を体現できてないんですよね。僧侶が修行したり瞑想したりするのはこいういう無限ループから抜け出すためなんでしょうかね。でも、この世界の仕組みを想像して、たどり着いた結論が腑に落ちた時ちょっとだけ愛に近づいた気がするんです。
だからといって何かが変化するわけでもないんですが、とりあえず生まれてきちゃったし、いま生きてるから、いろんな事を考えながら生きてる、それでいいんだと思います。
世界はそんな私も、文句ひとつ言わず受け入れてくれてますから。
私が死んでも世界は動き続け、文句ひとつ言わないでしょうしね。
第9章 仮想現実
息抜きに話した内容の割には、やはり息抜きになってない面倒くさい話の前章でしたが、愛だの死だの話してると、どうしても重くなりがちです。だから、愛だの死だのから少しずつシフトしていくためにこんな話をします。
生まれてきただけで丸儲け。なんとなく耳にしたことがあるかと思います。儲けかどうかは分かりませんが、私の脳という構造ができちゃった事実は仕方ありません。しかし、磁石好き、に始まり、世界の仕組みを考えるうちに、愛や霊の存在までつながるとは、昔の私では信じられませんでした。科学者は最後には、宗教に行き着く、というのはやはりありがちなんでしょうかね。
あ、私、科学者じゃないんですけどねw
で、当然、哲学者でも宗教家でもなんでもありません、むしろ科学信者です。頭ごなしに念仏を唱えろと言われても、その行為に何の意味があるのか、理解できなければ反発すらする方です。7章で話した霊や輪廻の可能性も本気で信じていますが、宗教のそれとは違い、もっと科学的な論理的思考よりの捉え方をしています。
死や愛、輪廻や霊とかそういう、私にとって胡散臭いと思ってた話は、誰しも一度くらい本気で考えたことが有ると思うんですが、そうして、人間や、宇宙や、世界の仕組みに気がつき(気がついたつもりになり)そのイメージが腑に落ちた時、やはり思ってしまった事があります。
この世の中は映画マトリックスの様に
仮想の世界なのではないか?
まぁ、何を持って「仮想」とするかの定義が曖昧ではありますが、今見えている世界を現実とした場合、見えない世界や、作られた世界を仮想の世界としています。
しかし、この世界が自然の偶然で生まれたのではなく、何らかの人為的な力により作られた世界だという可能性はあるのか?というお話です。
これも霊の話と同じくただの空想でしかありませんが、高次元の世界に存在するパソコンで動いてるネットワークRPGなのではないかという感覚、時々ありますよね?
例えばデジャブみたいな現象や、明晰夢みたいな現象を考えると、ひょっとしたら・・・って思ってしまいます。これは人間の脳が浅はかだからなのか、高度だからなのか分かりませんが、想像力や好奇心、探究心のなせる技なのは間違いありません。きっと宇宙人も同じことを考えることもあるでしょう。
私は長いこと重い睡眠障害に悩まされており、今もなお普通の睡眠がほぼ取れません。日中に眠くてぼーっとしながら買い物に出かけると、自分がそこに居ないような錯覚があります。錯覚が錯覚なのか、それともこの世が錯覚なのか現在のところ証明するすべが有りません。だから、仮説を立て想像してみます。
私の見えてるこの世界は仮想現実なんじゃないか?
ただ漠然とそう思えてしまう事はどんな人でも人生の中で時々訪れると思います。でも、入り口がそこだから具体的に考える事が出来ないのかもしれません、だとしたら私の中のこの世界を使って、別の角度から考えてみましょう。
私の中の世界のイメージ像でも、この世が仮想現実という可能性はあるのだろうか?
この世界は場に存在するプールの中のボールの内部でしかありません。そしてそのプールの中の物は全てがただのエネルギーの一形態の集合です、世界は非常に単純な構造をしているということで腑に落ちました。
まぁ、いくら単純な構造とはいえ、宇宙以上の大きさですし、想像を絶する体積のドットでできてる世界ですので簡単には行きませんが、例えば世界が、1立法ナノメートルの、1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1の、1兆分の1の・・(好きなだけ繰り返す)くらいの小さなものだとしましょう。世界と同じ仕組みで動く、想像を絶するほど小さな世界ということです。そこに起きるエネルギーの形態はこの世界と同じように世界の法則に従って、変化し続けているとします。
このくらいの規模であれば、ひょっとして現存するスーパーコンピュータくらいでも、処理できるんじゃないかな?とか思っちゃうわけです。世界は非常に単純な構造をしていますからね。
エネルギーの振る舞いや、それが物質になる条件など、世界定数とでも言うんでしょうか。それらを入力し、小さな小さな世界の全ての事象を完璧にシミュレーションすることは、もしかしたら近い将来可能になるのかもしれません。
先日プレイステーション4が発売され、より一層綺麗になったゲーム画面を見て思います。私の生きてるこの世界は、このゲーム画面とどこが違うのだろう。
とあるゲームのデモ映像を見ました。そのゲームは主人公を操作して、街の中を移動できます。街の中ではNPCと呼ばれる人工知能(AI)が操作する人間のような容姿のキャラクターが居て、普通に電話したりものを食べてたりします。プレステ4程度ではまだまだ処理速度が乏しく、彼らは限られたプログラム通りに動くしかなく、到底意思があるとは思えません。
当然ゲームの場合は処理を軽くするためにかなりの処理を省いています。そのため、バグや誤動作により、壁を貫通したりすれば裏側は存在せず、キャラクターの体内は空洞です。それは意図しない動作をした際のプログラムが存在しないためです。
先ほど考えた世界を完璧にシミュレーションした小さな世界が、もし想像を絶するほど強力なコンピュータで、もっと大きい世界をシミュレーション出来るようになった場合、例えば世界ほど大きくなくても、プレステ4のゲームの中の世界程度の広さ(例えば町1つ程度)だった場合、ゲーム内のNPCと呼ばれるキャラクターが意思を持ち生命として活動する。その生命は、たとえ私が操作しても、操作されてるとは気づかないまま生活する。なんてことが、ありえるのかもしれない、と思うわけです。
世界が単純な構造で作られているのであればプログラムは難しくありません。人類が知り得た世界のプロトコル(約束事)はまだ僅かしかありませんが、そういった構造やパターンの入力のほうがよっぽど大事業になると思います。
動きを生み出すプログラム自体は信じられないほど単純な仕組みで、それこそ、先に紹介した、セルオートマトンの様に、人間が作ることだって可能だと思います
ともすれば世界の規模に応じて強力なコンピュータさえ作る事ができれば、あながちありえないことではありません。
現時点で既に、小さな世界でのシミュレーションは人類に欠かせないものになっています。例えば気象シミュレーションや、原子分子といったミクロの世界の振る舞いを再現してみたり、タンパク質の構造解析や、DNAといったゲノム解析、星同士が衝突した際の詳細なシミュレーションの事です。フォーミュラカーの性能がどんどん上がるのも、ロケットが目的の場所へ予想された軌道で正しく飛んで行くのも、シミュレーションの結果を役立てて実際に動かしてるのは事実です。
近年のゲームにおいては流体演算や物理演算が可能になり、コンピュータの中で地球上での物質の振る舞いが計算で導き出せるようになっています。今はそれぞれ計算させたいシミュレーションの内容ごとに個々のプログラムを作る必要がありますが、コンピュータがどんどん強力になり、この世界の仕組み、その物をシミュレーション可能になれば個別のプログラムは必要無くなります。そうなれば、稼働させているだけで世界を丸ごとシミュレーション可能になり、正確な未来予知すら現実味を帯びてきます。コンピュータのパワーにより世界の大きさの制約は出来てしまいますが、想像をはるかに超えた処理速度、同時複数に並列処理を行い、空間や物質、はてはエネルギーの振る舞いその物を完璧にシミュレート可能なのだとしたら。
これはこのまま私の現実に跳ね返ってきます
この世界は予想以上に単純な構造のようですからもっともっと高次元の存在でのシミュレーションであることすら否定できるものでは無いと思うのです。
一言で言うと「神々に大ヒット中のオンラインゲームかも知れない」
こうなるとただの想像に過ぎませんが、事実世界は単純な仕組みなのです。
プレイステーション4の中にいる彼らや、シムシティの街で生きる彼ら、ネットゲームで操作されているキャラクターらは、たぶん自我がありませんが、自我があったとしても、意識では「操作されている」と気が付けないでしょう。なぜなら「そのように作ったから」です。
ポーションを飲むのは体力が減ったからであり、私が飲ませているにもかかわらず、自分の意志で飲んだと思っているかもしれません。壁に向かって延々に歩き続けるのも、彼らにとって別段特別なことでもなく、時折起きるバグやチートプレイすら、彼らの世界では当然の出来事かもしれません。
もしかしたら我々も・・・・?
周りを見渡したら隠れたセーブポイントが有るかもしれませんよ?w
ただし、この世界がプログラムされたシミュレーションだとしても、プログラム自体が自然界の法則の範囲内、で作られていますから、映画マトリックスの主人公ネオのように、法則を無視して空を飛んだり弾丸を止めたりといった、物理法則の壁を超ることは不可能なんだと思います。それでも、この世界はこの世界のままでもシミュレーションになりうる、と思うのです。
こういう考え方を「本当にひょっとしたらそうかも」と思えるようになったのは、やはり、世界の構造を想像して腑に落ちてしまったからです。予想以上に簡単な仕組みで簡潔だからこそ腑に落ちたんです。
私はプログラマーですから、つい、どういうアルゴリズムなのかを考えてしまいます。おそらく、規模の問題こそあれ初期データの入力さえしてしまえばこの世界のシミュレーションは間違いなく可能でしょう。
そしてその初期のプログラムは予想以上に簡単なものなのだと思います。なぜなら世界は広がり進化し続けていますから、自立型の自己発展型のプログラムでできていると思われます。世界が動くことで世界自身を書き換え、進化していく仕組みで、宇宙の果てでも法則は一定していて、過去も未来もそれは急激に変化することはありません。ですから、これは神によるメンテナンスはされていない気がするのです。
つまり、この世界の全ては全自動で、あらゆるエネルギーは再利用される仕組みなのだと思います。もし神がその仕組を生み出したのなら神様パネェって思いますが、神の存在はまだ腑に落ちていないので、なんとも言えません。
そう考えると、余計に、色即是空なのです。いろ、それすなわち、くう、ですよね。鮮やかに見えているものも実は空虚なもので、大した価値は無い、といった感じでしょうか。本当に世界の仕組みを想像すればするほど空虚なものに感じられるようになりました。
だから、嫌なことがあっても「まぁええか」「どうでもいいや」で片付くようになり、頭にくるような事がとても少なくなりました。言ってしまえば、別にいつ死んでもいいです。(殺されてもイイではないですよ?w)死んだら死んだで、ああそうか、と思うだけです。
そのおかげで近年では、誰かを嫌いになったりすることは、皆無です。自分の事での不満はいっぱいありますが、それですら「しゃーないよね」で片付きます。時々あまりに複雑に「見える」この世界に混乱し、目の前に起きたトラブルに囚われ、大人げない、というか、しなくてもいい行動を取ったりします。まぁ人間ですから。
そんな時は後になって結構、後悔したりしますが、しばらくどっぷり落ち込んだあと数日すると、それすら「まぁいいか」と思えるようになりました。
これは、間違いなく、この世界の仕組みが腑に落ちたからでそのおかげでとても生きるのが楽になりました。
ですが、悪いことも起きてます
以前のように必死に情熱を注いだ生き方ができなくなったかもしれません。歌や音楽、異性や仕事に関しても、以前よりずっと淡白になった気がします。まぁ、私は真面目すぎなので、そのくらいがちょうどいいのかもしれませんが、なんにせよ、この世界が単純で、だからこそ仮想現実かもしれない、だったら別に、必死にならなくてもなるようになる、という結論で十分なんだと思ってます。
とりあえず、私の中のこの世界のイメージに沿った形で想像しても、この世界そのものが仮想現実という可能性が有る、という結論で腑に落ちました。
まぁ、この世界が、仮想現実でも、そうじゃなくても、別にどっちでもいいんです。
なぜなら、もうこんな時間なので(19:24です)
これから寿司を食いに行くんですからw
しかし、時間というのは、待ってると長いくせに、他のことやってるといつの間にか大量に過ぎているんですよね、困ったものです。
第⑩章 時間って何?
さて、この話をする時間がやって来ました。もう最初に言っときます。時間のことを考えると、光の相対性なんか目じゃないくらいイメージしにくい話になります。なるべく分かりやすくイメージを伝えようとしますが、頑張ってついてきてくださいw
この世界がもし、仮想現実、神様のコンピュータで動いてるシミュレーションされた世界なら、話は簡単で、時間はその神様のコンピュータの内部クロックです。分かりやすいですね。
我々にとって時間とはなんでしょう。
1日が24時間というのは、御存知の通り、大昔に発見された定義に始まります。地球が自転で1回転したとされる変化、昼から次の日の昼、までに掛かる長さを1日と定義した訳です、それを太陽暦では24で割ったり、日本では12で割ったり。
当初は昼から次の日の昼の長さを測るためだった物が、いつしかその定義のほうが重要になりました。そのせいで、暦がズレてきたり、沢山の計算方法が生まれたりしましたが、時間とはそもそも、地球の自転が止まってしまっても1日は1日なのです。現在太陽暦では1日を24分割し、さらに60分割したものが1分で更に60分割したものが1秒、ということ・・・
だったはずなのですが、近代科学では定義が逆になっています、時間を正確に図るために、昼から次の日の昼をものさしにせず、別のものから時間を計測するようになっています。
現在開発されている最高精度のものはイッテルビウム171という元素を使った光格子の振動周波数を測定する方法で、その元素は毎秒毎秒、正確に518兆2958億3659万863.1回振動するそうで、それを1秒と定めているみたいです。ですから、1日は逆算してみると・・・。
イッテルビウム171の光格子が4478京760兆2814億5057万1840回振動したら1日。この現象を定義として、地球の自転や公転が今後も今のペースで動いてくれた場合、821万7526年に1秒ずれるかもしれない。という誤差になるっぽいです。
なんというか、隕石や地震1発で自転速度なんか結構変化しますし、時間って速度や重力により、早くなったり遅くなったりとかなり不確定なものですから、そんなに正確にしても意味があるのでしょうか。まぁ、変化したことに気がつけるようになる、という意味は少なからずあるのかな。
身近なところではグリニッジ天文台を起点に世界各国が時刻共有し、いろいろな場所で電波を使って合わせています、電波時計なんかは便利ですよね。
でもこれは我々の世界、つまりボールの中においての計測方法でしか無いのです。ですから本当の意味での時間とはなにか、という話をしたいと思います。
よく時間の話をするとエントロピーの話になります。
えんとろぴぃ♪ なんかかわいい響きですが、一言で何なのかというと「元には戻らない」ということです。
爆弾が爆発すると、爆弾だった物質は周囲に影響を与えながら放射状に広がっていきます。その事実を、エントロピーが増えていくというみたいです。正直あまり詳しくはないんですが、つまり、前の瞬間より次の瞬間は変化していて、それは元に戻らない、ということなんだと解釈してます。
これはエントロピーが増大するから未来に向かって流れるのではなく、時間が未来に向かって流れているから結果的にエントロピーは増大する、という定義みたいです。だから、もし時間が過去に向かって流れたらエントロピーは縮小するはずだ。という感じ。
そんだけの事なんでしょうけど、なんで科学ってのはこうまどろっこしいんでしょうか。
しかし、ここで出てくる概念なんですが
そもそも時間とは「流れて」いるのでしょうか?
時間が流れるとしたら、私のイメージする世界の構造のどこにどういう形で存在し、周りに影響を及ぼしているのか色々考えたのですが、相対性や光の速度の問題を一緒に考えるとどうも途中で破綻してしまうのです。
そこで発想の転換。時間その物もエネルギーなのではないだろうか。私の時間の想像はそこから始まりました。
エネルギーとして時間が存在した場合、他のエネルギーと干渉しながら世界の中を漂う、んー。漂うという感じでもない。それだと隅々まで行き渡らない場合も。できればプールその物が時間。みたいな感じになってくれればいいんだけどイメージの中でかっちりと収まらない。どうしたものか。場は場でしかないから、場が時間その物ということもありえない、この3次元物質世界ですらあらゆるものに干渉しつつ、それでいて一定じゃない、なんかもっとローカルな場所に存在する気がしてならないのです。時間というものはどこにどういう形で置いたらしっくり来るんだろう、色々考えた挙句出た答えは。
どうも普通のエネルギーとは違うぞ。
全ての他のエネルギーに干渉するくせに、エネルギー値の高い部分、高速、高重力、高エネルギーの領域だけはだけ遅くなったりするらしい。普通のエネルギーとして私の脳内で処理しようとするとどうも破綻してしまう。
時間のエネルギーの置き場所が見つからないんです
プールの中の霧みたいプール内に充満していて、かつ、ボール内部にも充満してる。そうイメージすると重力や高エネルギーに作用される時間という物はどうしても場所によって一定に保てない。そんなわけないと思うんですね。
宇宙の果てでもエントロピーは増えてるだろうし、ボールの外だって増えてるはず。エネルギー値によって変動はあるものの、ここの1秒はあそこの1秒と、主観的には違っても客観的には同じ長さである気がしてならないのです。
私は、どうやらプールの中に時間というものを置くのは無理そうだと、結論付けて、他の方法を模索すると、やはりもう一つ高い次元を用意する必要がありました。
ここで新たな時間という次元がイメージに加わります
先ほど、プールとボールをイメージしてもらいました。プールは無限に続く場というところに、いくつも存在しており、そのうちひとつのプールに我々の住む宇宙というボールが入ってます。ここまでが今まで話していた私の世界像ですがここに時間という要素を加えるために、便宜上状態を変更したイメージを作ります。
場は無限に続くのですが、想像しやすくするために「場は無限に近いほど大きい」と解釈してください。そうすると、場の外が出来ます。便宜上です。時間のある場所は本当は一つ上の次元です。場の外から見ると、どうやらボールプールが幾つか入ってる建築物があって、その建物は遊園地みたいなところにあるようだ。その建物が場であり、遊園地が時間です。
遊園地の土地に建物が1つだけ建ってて、中を覗くとボールプールがいっぱい運営されてる、そんな状態を想像してください。(建物が1つかどうかは正直わかりません)
このイメージから行くと、沢山あるプールは1つの遊園地の中にあるので、多元宇宙論でいう、別の宇宙も我々の宇宙も同じ1秒になります。ただし、元素の振動数はプール内のエネルギーのパターンに依存するので、別の宇宙の1秒と、私達の宇宙の1秒は別のものになります。これは文章では矛盾してますが矛盾してません。説明します。
遊園地内の建物の外から見ると、各プールは同じ時間を共有していますが、プールによってはスローモーションに見えたり早送りに見えたりしてるんです。当然建物を俯瞰で見ると建物全体の1秒は1秒のままなんです。
ただし、スローモーションで動いてる宇宙の中に宇宙人がいたとしても、自分がスローモーションで動いてると気が付けないだけ、ということです。他の宇宙から見た我々の宇宙は超スピードかもしれませんが、一度プールから上がってみれば他の宇宙が超スローなだけかもしれません。
こうすると、プールの中のあらゆるエネルギーに共通して干渉することが可能で、エネルギーの値によって、スローモーションになったり早送りになったりして、時間の相対性も想像しやすくなるんです。
ということで、たぶん、時間は世界の外側で決まっている、で腑に落ちました。
お、おぅ・・。
としか帰ってこなさそうなのでもう少しわかりやすくします。(余計複雑かもw)
とりあえず、イメージの中での置き場所は決まった。では、それがどういうものなのか想像していきます。
今みなさんの頭のなかのイメージでは、遊園地に有る建屋の中に沢山のボールプールがある、そんな光景なのだと思いますが、それをぺしゃんこにしてください。時間というもう一つ高次元の話をする必要があるので、今我々の住む3次元と、ボールの外の空間を4次元で想像しちゃうと、時間というさらに上の元目が出た途端に理解できなくなります。そのため便宜上、我々のいる宇宙を含むボール内やプール内(場)という3次元4次元の世界を2次元にしちゃいましょう。
想像してください。
超高速で印刷が可能なプリンターの排出口を眺めていると1枚目の紙が出てきました。そこには遊園地が書いてあり、遊園地の中に建物があります。その絵の建物の中をよく見るとボールプールが幾つも描かれています。ボールプールをよく見ると中に浮遊した状態のボールがいっぱい有ります。そのボールをよーく見ると、中に地球が見えます。その地球をよーく見ると・・・
ドナルドがケンタッキー食ってるところが見えます
あ、2枚目の紙が出てきました。ぱっと見、前の絵とほとんど変わらないけど、僅かずつ変化のある絵です。よーく拡大していくと・・・
今度はドナルドが寿司食ってます
こうして、絵は次々に出てきます。紙はトレイにどんどん溜まっていき、一番上は常に最新の紙となります。過去の情報は、溜まっている下のほうの印刷物に記録され蓄積していきます。
これが私の時間の概念です
ただしイメージと明確に違う点が1つあり誤解をしないよう補正します。プリンターから排出される印刷物としてしまうと時間がパラパラ漫画のようになってしまい、とある時間と、次の瞬間の間の情報がありません。時間は飛び飛びの変化ではなく連続した変化のはずです。
そこで実はこのプリンター、パスタマシンみたいな構造で、排出される紙は、金太郎飴みたいになっているのです。プリンターから出てくる絵は滑らかに動き、その経過だけが過去に押し出される。排出された紙は、1枚1枚溜まっていくのではなく、パスタのようににゅるにゅると出てきては溜まっていきます。この溜まっていく部分を過去と呼んでます。ここに「時間が流れる」という感覚は存在しません。どちらかと言うと「時間が蓄積する」という感覚です。この排出された現在を含む蓄積された金太郎飴が、私の世界での時空連続体です。現在科学者が導き出してる時空連続体の概念はもっと別の物の感じなのですが。私の中の世界ではこの金太郎飴のことを指します。
さてこのプリンター、まぁパスタマシンでもなんでもいいんですが。絵がどんどん生み出されていますが、トナー(インク)が切れたら当然止まってしまいます。このトナーに当たるものが、私の考える時間エネルギーです。
元々形の違うトナーか、デュラムセモリナ粉みたいなものが時間エネルギーとして存在し、それが、プリンターみたいなものに供給され続けている限り、絵は刻々と変化して、過去を積み重ねていきます。
このイメージを持つと、未来は存在しないということになります。また、時間のエネルギーは膨大で、すべての宇宙を常に再構築し続けるほどの量です。この時間エネルギーは場の状態により様々なものへ形を変えます。といってもエネルギーの状態が変化するのですけどね。あるものはヒッグス粒子などの粒子状態になり、あるものは空間を空間にするためのエネルギー(名前はまだない)になり、最終的には物質になります。
この時間エネルギーはSTAP細胞の様に宇宙に存在するあらゆるものへと変化します。ああ、STAP細胞見つからなかったんだっけw じゃES細胞でいいやw まぁなんでもいいんですが時間エネルギーとはエネルギーの状態が変わることでどんな状態にもなりうる万能のエネルギーです。宇宙はすべてエネルギーでできていますので、この時間エネルギーというものは、エネルギーの元になるエネルギーという感じでしょうか。そしてそれは、以前のそこの状態を慣性の様に受け継ぎ、次の瞬間も同じ場所に同じものを生み出します。これ自体は普遍的で、自然が当然のように行う最も根本的な宇宙の基礎の仕組みだと考えています。
したがって、場やプール、その中のボールや、ボール内部には大規模な急激な変化は起きず、時間を掛けて全体的にゆっくり変化していきます。宇宙の進化と呼ぶ感じでしょうか。
排出され蓄積する時間の金太郎飴だったものは、ある日突然、桃太郎の模様にはならないのです。実際、我々の宇宙限定で見たとしても、宇宙は生まれてから現在に至るまでゆっくり冷えていっていると言われているのがその証だと思います。
たぶん、時々トナーの供給が止まったり、プリンターが故障したりしてます。すると時間が止まってしまいますが、それは高次元においての時間なので、我々は時間が止まっていることに気がつくことすら出来ません。
そんな時間という概念のイメージなのですが、例えば、望遠鏡を覗くと遠い星の過去が見えるのはなぜでしょう?
わかりやすく説明します
紙には遊園地の建屋が描かれ、中にボールプールがいくつもあります、その中の1つの我々の宇宙のプールを拡大し、さらにプールの中のボールを拡大します。
1枚下(1層というべきか1ミリ下の部分というべきか)にある絵は過去の情報です。同じ紙に描かれてる世界は、どの場所でも同じ時刻ということになります。
紙の表面私が立ってる場合、我々が遠くの星を見るということは、紙に対して水平方向を観察しようとします。しかし見えるのは過去ですから、斜め下方向(地面の方向)を見ているということになります。どうしてこんなことになるのでしょう。
これは光があまりに遅いため、紙の水平軸方向を見ていても、その光が観察対象に届く前に新しい紙が供給されてしまう為です。観察者は常に一番上の紙(現在)に居るため、見ようとした光が届く頃には、遥か下の層の紙になってしまうからです。
見るという行為は、本来「見る」ではなく、目の中の網膜に飛び込んできた光を認識することなので、軸を逆に考えます。
遠くの星が放った光が地球に届くまでの間に、次々と紙が供給され、地球に届く頃には、星が光りを放った瞬間の層はずっと過去の層になるということです。
これは地球を中心に考えた際、移動していく光は円錐状になります。光が早ければより平べったい円錐、時間が早く蓄積すればより尖った円錐になります。この円錐がどれだけどがっているか我々に認知するすべはありません。
ですが、いくらプリンターが時間のエネルギー供給を一時停止しても、排出される円錐形はひょうたん型になったりせず、円錐形にしかなり得ません。これがエントロピー増大に対する関連性で、時間は逆向しないことと一致します。
しかも、1枚の絵というイメージにしていますが実際は3次元です。時間という別のベクトルに時間は蓄積されており、それはボールプールを含む建屋全体が、同時に過去として重なっていることを示唆します。
つまり過去はすぐそばに有るんですが、過去の地層に有るため別の次元に存在します。光が余りに遅いため、時間の相対性を利用した、ボールプール内における過去の観察は可能ですが、光を超える速度が出ない上、別の次元に移動できない限り、時空間の移動は不可能なのです。
こういう時間に関する話をしていると、タイムマシンは作れるのか、という疑問によくたどり着きますが、この世界像では作れないことになります。私の中のこの世界では、過去にも未来にもジャンプして移動することは出来ません。未来は現時点で存在せず、過去は観察しか出来ません。そもそも、彼女の笑顔を見る、という行為そのものが過去の観察な訳です。
ただし、タイムトラベルをする方法でイメージできる唯一の手段として、今供給される新たな紙に描かれた自分を何らかの方法で次の紙に描かないか、変化をさせないという方法しか思いつきません。わかりやすく言うと「何処かの空間の時間を止める」方法しか出来ません。これは、こういうタイムマシンが作られたら、作られた以降の未来にしか行けない事になります。どういうことかというと・・・
自分が1時間止まった場合、現在は1時間先まで生み出されていて、自分は1時間分古い層に存在することになります。その時点で行けるのは、元いた1時間未来まで。まだ作られてない未来にはどうやっても行けないのです。
現実的な世界において話すと。
アナウンサー「2020年にタイムマシンが発明されました!世紀の大実験です」
アナウンサー「いまから人類が未来へ行きます!」
トラベラー 「うは、俺人類初!いってきます~うぇwっうぇwww」
アナウンサー「さぁタイムトラベラーが今、タイムマシンに乗り込みました!」
アナウンサー「何も起きませんね・・・」
アナウンサー「タイムトラベラーが止まって見えます。どうしたんでしょう・・・」
2000年経過(その間ずーっと止まってる)
トラベラー「シャオラー!未来キターーーー!」
トラベラー「うぉ!4020年!うっは俺タイムトラベラーじゃん!」
トラベラー「あれ?ねぇ、誰か・・・。てかここどこ?」
これは、おそらく可能です、何らかの手段で世界の外で決まる時間経過を自分のいる場所に影響を与えないようにする装置を作ればいいだけですから、なんつーのかな「時間バリヤー」みたいな? ドラえもんかよ!w でもそれは頑張れば作ることが可能な気がするのです。
ですがこれをタイムトラベルと呼ぶか、未来へ行くと言うかどうか、は微妙なところ。たぶんコールドスリープのほうが簡単ですw
ただし、1つ検証できない事実が有ります。それは、今我々の居る世界が、本当に時間の最新情報かどうか(紙の一番上)です。実はこの世は全体が既に過去の層で、未来はもう既に作られている可能性も否定できません。それは、次元の壁を超えられない限り検証するすべがないのです。しかし、既に未来が決まっているとなれば、運命は存在し、自ら選択したと思っている行為は既に決定していたとなります。
もし、今が、時間における最新情報ではない場合こんな可能性すら出てきてしまいます。
先に話した、この世は神様のコンピュータで動く仮想現実世界、という場合未来の決定権は神様が持っており、私が飲んだポーションは私の自由意志ではなく、神様がYボタンを押してメニューから「ポーション→つかう」というコマンドを発行したからという可能性すら出てきてしまいます。
今日私が、寿司を食うか、ラーメンを食うか、は自分で決めたいのです。既に決まっているとは考えたくない、という私の主観が、どうしても現在は最新の世界であると思わせてしまいます。本当のところ時空間を超えられない限り検証するすべがないので、どうしようもないのですが。
ではやはり、過去に行けるだろうか、という話をもう一度考えてみますが。過去は情報として時間の層に蓄積されています。過去は確かに今も存在してるのですが、そこに行く方法。別の時空間、縦横高さ以外の別の距離、別の次元のその上の次元(ボールの外のプールの外の建屋)になっているので、次元の壁を超える方法となると・・・・
うーん私の想像力では情報不足なのかちょっと思いつきません。
色々な方法を想像してはいるんです。
ボールを出るための方法を考えるのと似てるのですが余剰次元とはわけが違います。重なった過去という蓄積された時間次元を自在に行き来する方法は、余剰次元の更に1次元上の世界に行く必要が有るため、ボールを出る、とはだいぶ違う話です。もし、時間を行き来できる粒子でも見つけることができれば、もう少し想像出来るのですが、どうもそんな粒子は存在しない気がしてなりません。なんとなくなのですが。
ですが、スタートレックの世界の設定ではタキオンという非常に都合の良い粒子が存在します。このドラマは現実の世界にかなり沿った形の設定がとても細かく決められており、ドラマの中でこのタキオン粒子は、時間を超えることができ、時空連続体に影響を及ぼせる便利な粒子という設定で、これを使えば時間を超えて探査や移動が可能という設定になっています。
またタキオン粒子はグラビトン粒子の様に現実の世界でも現在探索中らしく、科学者は自然界の確認のとれていない他の事象のつじつまが合う計算上ではこの粒子の存在を示唆する計算式が出来てしまうみたいなのです。本当にあるのかなぁ?
私の中ではただ漠然と「そんなものは無い気がするんだけどなぁ」というだけなので、有るのかもしれないと思い、色々イメージするのですが想像力不足なのか、いつも最後は破綻します。
やっぱ、そんなものは無くて、たぶん行けないんじゃない?w
ドラマのように別の次元に有る時間の層を掘り進むことができれば可能なんですが、そうなるともうやっぱりスタートレックみたいにSF以外の何物でもない話になっちゃうので、ほんとにドラえもんかキテレツに任せるしかありません。人類はまだまだ、次元や時空に関しての知識や情報が少ないので、私がどんなに想像してもただの空想になってしまいます。
とりあえず、そんな私の想像の世界での時間というものはこういうものでした。
この世界は時間エネルギーという物が変化したものが世界を作っています。私達の宇宙どころか、余剰次元や他の宇宙すら飲み込む形で常に供給され蓄積されています。時間とはどういうもので、どういう形で世界に影響を与えているのか長いこと考えていましたが、しっくり腑に落ちる形でまとまったのはつい最近のことです。
あの頃に戻れたらいいなぁとか、あの時ああしてればとか、どうにかして過去に行きたいとか。将来が心配だとか、運命は決まっているとか、未来には何が起こるんだろうとか。生きているとどうしても考えがちですが、私の考える世界では、未来は存在せず過去には行けない、ということで腑に落ちました。
まぁまだなんかちょっと色々足りない気もしますが、もう少し科学が発展すればこの足りない感も解決するんだと思います。
なのでとりあえず、現時点においては、後悔したり、未来を怖がったりせず、ありのままを受け止め、まぁ、なるようになんだろ、と思えるように、するのが一番いいんじゃないかな。
とりあえず、昨日という過去は寿司だったので、今晩という未来は卵かけご飯にしときますw
これは私が選択した未来のはずです。
第⑪章 私の中のこの世界
電波ですみません。。何か受信しちゃってるような気がしないでもないです。
今回、この文章を書いたキッカケですが、ある夏の日、散らかった部屋の中でビニール袋を踏んでコケてしまい、柱におもっきし頭を打った時に「時間」の概念がパッと頭に閃いたのが原因です。やっぱし電波受信してしまったのか、それとも私の脳の中で何かが起こったのか、なんとも不思議な感じです。
全く根拠の無い想像図では有りますが、完璧な支離滅裂でもないと思います、それなりに自分の知ってる物理の法則や、実際の現象を踏まえて想像力を駆使して作った「私の中のこの世界」ですが皆さんにどう感じていただけたのでしょう。
非常に複雑で面倒くさい世の中ですが、実は単純な構造をしていました。今後も科学の進歩とともに新たな事実が発見され、私のこのイメージ像もその都度修正する必要が有ると思います。
死んだってどうってこと無いのかもしれない、もしかしたら幽霊になって世界中、宇宙中を旅行できるかもしれない、なんてのが腑に落ちてしまったのは正直、私自身も驚きました。
宇宙人は居るだろうし、地球にはとっくに来てるだろうし、プリンターか、高次元のシミュレーターがもし壊れれば次の瞬間、誰一人気が付かないうちに世界は永久に凍りつく可能性だって有ります。
時間は莫大なエネルギーを消費してると考えられますが、いつか枯渇するんでしょうか?
実際に、何億年も前の星が見えるということは間違いなく時間は蓄積されています。それとも、それよりはるか遠い、数百億年以上前の過去が消滅して時間エネルギーとしてリサイクルされているのか、現時点では私の想像領域を超えるので正直なんとも言えません。
もしかしたら宇宙背景放射の向こう側は過去がリサイクルされ、新たな未来を生み出すエネルギーになっているのかもしれませんね。
今まで話してきた内容その物が、だからなんだよ、という話で、だったらどうした、てなもんで、別にどうとか言うわけでもないんですが、私は自分が描いたこの世界観を今後も持ち続けながら生きていくと思います。新たな知識を手に入れるたびに、修正を加えながらですが、今回時間という概念が私の中の世界に腑に落ちた形で加わり、なんかしっくり来てしまったことをきっかけにこの文章を書いております。
今回、この文章を書いてる最中に、ああ、だいぶ端折って書いてると実感しています。もっともっと哲学的な話、例えば神の存在や、人の中にある闇の部分、地獄や天国、縁や赤い糸の存在、そういうのを含む宗教や神仏、陰陽道や妖怪、天使や悪魔といった、私がついこないだまでまったく信じていなかったいかにも胡散臭そうな話も、なんとなくですが色々決着がつき始めています。私の中でだんだんとつじつまが合い始め、違和感なく腑に落ちるのは時間の問題かもしれません。
幸せとは何か、生まれてきたなら何かを成し遂げるべきなのか。そういう、生きていて湧いてくる疑問は、焚き火に始まって核融合まで来ている科学の世界が今後、人間の意識をどう変えていくのか、気になって仕方ありません。
せめて、あと300年くらい生きられたらなぁ。
300歳まで生きられたとしても、きっとあと300年生きられたらなぁとか言うんだと思いますが、人生は本当に短いですね。年をとる度にそう思います。
ロボットがどう扱われるのか、ガンダムは作られるのか。2次元のアニメの世界に行くことができるようになるのか。技術や文明の進化が世界を、社会をどう変革していくのかはとても気になります。
攻殻機動隊というアニメの中では人の脳が機械化、電子化され、記憶は量子化され、インターネットの仮想空間に直接行くことが出来ます。ソードアート・オンラインというアニメでは脳や体に直接作用するデバイスが発明され、ゲームの中のファンタジーの世界へ直接行くことが可能ですし、映画マトリックスはこの世の中がそもそも仮想世界だったという設定になっています。人間の想像力は凄いですね
何が現実で何が仮想なのか、それを知るすべはあるのかすらわかっていませんが、いつの日か人類は自然界で可能とされるあらゆる壁を突破し、前人未到の宇宙や、今の3次元物理世界を飛び出して、高次元の存在となるのかもしれません。
現在では実際にNASAの研究員が「この世の中が仮想世界かどうかを検証する研究」もしているようです。なんの役にも絶たず何も生み出さず無駄にお金だけ消費して終わらないといいんですが、宇宙や世界の探求は、たいていが直接利益になることがありません。ですが、その研究の過程で生まれた新しい技術が人類を豊かにしているのは紛れもない事実です。
宇宙観測者や科学者、数学者が実際に大金を費やして事実を証明しようとしています。私の宇宙はなるべくそれに沿った形で有りたいと思いつつ、自分の想像の範囲を超えると都合よく解釈していることがほとんどなので、真面目に取り組んでる人には、大変失礼なものだと思います。ですが、世界はこんなにも簡単な構造なのに、論文になると途端に難解になります、もう少し分かりやすいといいんですけどねw
宇宙の大きさは780億光年だとか、でもビッグバンは138億年前だとか、色々な科学がこぞって世界の仕組みを研究し、様々な説が飛び交い、目に見える世界ですら何が真実なのか、いまいちよく分かりませんが、最初に書いたように、その人が腑に落ちたらそれをその人にとっての真実としても良いのではないでしょうか。
本当は正しいことなのに、難しい論文を読んで理解できなければ意味が無いのです。一般人は大抵がそうだと思います。だから私は想像力を使い、あまり大きく間違ってないことを祈りながら自分の世界を作りました
こういうことを考える人は、私の周りで見たことがありませんので、おそらく私みたいな人間は珍しいのかもしれません
何を言ってるのか全然わからなかった人は、もう全部スルーしちゃうか、何回か読んでくれれば、だんだんイメージしやすくなるかもしれません
やっぱり自分は変わり者なんだろうなと思いつつ
卵かけごはん食ってきます。
お疲れ様でした。
改めて言っておきますが、この文章はただの小説で哲学書でも科学書でも論文でも有りません、事実っぽく書いただけのフィクションですから、あんましマジに受け取らないようにw